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ブランコを押してくれる人が欲しい 

  子供の頃の私はそう思っていた。ブランコとは幼稚園から小学生くらいの児童のエンターテイメントに多大に寄与している、かの有名な公園に設置されている遊具のことである。この遊具をぶらぶらさせている間、子供はその振り子のようなモーメントに体を任せて風と一体になる。大人になって戯れにブランコに乗ってみても、自分の体は無駄に大きくなりすぎてしまってもはやブランコは窮屈である。ぶんぶんと前後に揺られてはしゃぐあの感覚は子供の特権なのである。


  子供の頃のわたしがブランコを1人で漕げなかったのかと言うとそうではない。もちろんのこと私はブランコを高速で前後に動かすことに無類の喜びを覚えるタイプの子どもだった。しかし誰かに押してもらって揺れるブランコはそれとはまた別格の喜びがあるのだ。自分ではない誰かの作る力強い推進力に身を任せ、キャッキャと大喜びで揺れはしゃぐ。これは押している人と乗っている人間の共同作業、いわば芸術活動なのである。


そう思って母親にこのあいだ話を聞くと
「どれだけブランコ押してもどんどんもっと押せって言うから、だんだんと強く押していったら最後にはブランコからぽーんって飛んでっちゃったのよあんた。それ以来押すのやめたわ。」
と言う返答が返ってきた。私にはそのような記憶は全くなかったから驚いた。いや正確にはそんなこともあったような…?という薄らとした記憶があるのかもしれないが、当時の自分は怪我をしなかったことに悦に入ってすぐに記憶から抹消したらしかった。反省しない性格はその頃から健在だったようで、私はそのことに急に何だか恥ずかしくなってしまったのだった。

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