著作権について考える
著作権って難しい。情報というのはそもそも人に共有され、拡散されるためのものという性質があるからだ。例えばパロディやオマージュはどこまで許せるラインなのかとか、アイデアの盗用をどうやって証明するかとか。
ここで一つ例を挙げてみたい。学校の勉強などを思い浮かべてみてほしいのだが、サイン、コサイン、タンジェントというのはピタゴラスの定理から来ている。だからと言ってこの時ピタゴラスが、サイン、コサイン、タンジェントを使って建物を建てている設計士全員に向かって「それ俺が考えたから使用料よこせ」とか言ったら面倒くさすぎる。確かに彼は偉大だし、その発見は讃えられるべきだと思うが、彼が権利ヤクザみたいなことをし出したら人類の発展は大幅に遅れることになるだろう。
その一方で素晴らしいものを作り出したクリエイターは、正当に評価されるべきとも思う。クリエイターが我が子のように労力をかけてこの世に生み出した作品を、なんの対価も払わない人々がタダ乗りするというのはどう考えても酷い話だ。「JASRACがピアノ教室に乗り込んで音楽の使用料を取り立てた」みたいなのはどう考えてもやりすぎだが、クリエイターが守られるような仕組みづくりが大切なのも間違いないのである。
果たしてアイデアと発想にいくらくらいの対価を支払うのが正当で、どうやってそれを取り立てるのか。著作権法を作った人も相当頭を悩ませたに違いない。曲がりなりにも創作をしている私も、この問題には頭を悩ませる。守破離、という言葉もあるように大体全ての創作活動は猿真似から始まるのである。
最近私のTwitterにはAIの学習素材にされるのを嫌がる絵師さんの話がよく流れてくる。こういう話題に触れると、デジタル時代の著作権は昔よりもさらに難しく複雑な話になっているなと実感する。私もよく日記のサムネイルを拾い画像にしているが、これも著作権的にはかなりグレーな行為だと思う。私が将来ものすごく有名になって、私の記事に異議申し立てをしたいという人が現れたらどうしようというのが私の目下の悩みである。
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