面白いクリエイターさんが有名になると面白くなくなっちゃうの、悲しい
Twitterをみているとクリエイターさんの時間による作風の移り変わりを追いやすい。それをみていると初期の方は面白い作品を発表していたのに、有名になるにつれんなんだか説教くさくてつまらない内容を書くようになってしまう人は結構多い。
私はこの現象は「多くの人が見ているからきちんとしたものを作らなければならない」という意識から来ているんじゃないかと推測している。これは人間であればごく自然な考え方だと言っていいだろう。万バズしたツイートに意味のわからないクソリプが飛んでくる殺伐としたTwitter界で、自分の脳内をそのままさらけ出すなんてのは危険極まりないことだ。大衆ウケと自衛、この二つを考えれば当たり障りのないことを書いた方がいいに決まっているし、多くの人が共感するようなド正論を言った方がいいわけだ。
けれどここが難しいところで、面白いことっていうのは作者の脳内のフェチ、気持ち悪いぐちゃぐちゃの気持ちから生まれるものなのだ。全校生徒の前に立たされた校長先生みたいな立場で、自分の個人的なノリを話す。こんなのはどう考えても難しいに決まっている。だから”サブカル者”と呼ばれる人たちはインディーズのバンドをありがたがって聴くのかもしれない。濃い身内ノリとさらけ出された作り手の気持ち。マイナーなインディーズバンドを知っていると自慢したい以外にも、彼らはそういう物に惹かれているのかもしれない。
作者がきちんとした人であればあるほど、こういう「きちんとしたものを作らないといけない」という気持ちは強くなるだろう。だからこの現象は仕方ないと言えば仕方ない。私にできるのは悲しいねと言って嘆き、次の身内ノリおもしろ人間を探すことのみである。この問題はかなり根深くクリエイターと受け取り手の間に横たわっている気がする。規模が大きくなるとなんにつけ物事は難しくなっていく。だから私はずっと「何者でもない人間」で居続けたいなと思ってしまうのだ。
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