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今年ももう残り三ヶ月くらいになってしまった

  信じられない。ちょっと前までお正月で、玄関に門松を飾って羽付きで遊んでいたではないか。それなのに気づけば春が過ぎ、夏が過ぎ、季節は秋に差し掛かっている。わたしはこの間、眠ってでもいたのだろうか…?時間はぼーっとしているうちに新幹線のように横を通り過ぎ、このまま我々を新たな年に誘う勢いを見せている。


  わたしはこの一年、何をしただろうか。空中をぼんやり見上げながら考えてみると、いつものメンツで遊び、新たな人と出会い、失恋し、仕事を探すけれども断られ続け、その間noteを書いていた。確か。こう書いてみると思ったよりいろんなことをしていたことがわかる。これらの活動が果たして一体どれだけわたし自身の成長に資するところがあったのか、どれだけ人の役に立ったかは定かではない。ただ川の流れのように通り過ぎる時間の上で、わたしが必死になって足掻いていた跡が醜く残っていることだけは間違いないだろう。


  この調子で行くと今年はもうまもなく終わってしまうことになる。それまでにあとどれだけ楽しいことができるだろうか。おそらく新しい場所に引っ越せば、わたしはどこか勤めはじめた職場にガタンゴトンと揺られながら通い、楽しいことができる機会も今よりずっと減ってしまうだろう。残り少なくなってきた今年のカレンダーの枚数を憂いながらふと我に立ち返る。


  これから季節は冬に入る。わたしは人恋しい気持ちを抱えながらトボトボと、凍えながら職場と家を往復するだけになるかもしれない。ひとりぼっちのわたしの前に心優しい美少女が現れて微笑みかけてくれる、という可能性は一体どれほどだろうか。わたしの計算ではそんなに高くはないのではないだろうか。これまでも私は心の中では美少女の訪れを待ち侘びているくせに、あまりにもビビりなせいで自分からはなんのアクションも起こさないまま過ごしてきた。だから、積極的な行動を起こさない私にとってこれからの3か月は忍耐の時になるだろう。そう思うと、これから待ち受けるであろう生活の予測には多少辟易してしまうものがある。


  閑話休題。話を戻すが、それにしても「今年も気づけば3ヶ月と少し」なんて全く信じられないことだ。永遠にこうやってうだうだとしていられると信じて疑わないわたしに、時間は残酷な流れを告げる。去年も確か「来年こそは何か大層なことをしてやろう」と目論んでいたはずなのだ。それなのにこの体たらく。だからわたしは改めてここに誓おう。「来年こそは何か大層なことをしてやる」と。その結果がどうなるかはこの日記を読んでいる人のみぞ知る、だ。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。