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翻訳って芸術なんだ

  スプラトゥーンをしながらそんな事を思った。敵とぱしゃばしゃインクを掛け合っていると「40$ eggs」という名前がプレイヤーネームとして表示されている。これをそのまま日本語に訳すとしたら「40ドルの卵たち」となるだろうか。わたしがもしこの表現を小説で読んだとしたら「ん?」となるだろう。「卵たち」という表現は日本語としては違和感がある言葉だからだ。


  アメリカで40ドルでいくら卵が買えるかは知らないが、日本円にして5865円のお金で1個しか買えないなんてことはないだろう。だからもしわたしがこれを日本語に直すとしたら「40ドル分の卵パック」というふうになると思う。


  翻訳というのは作者と読者の間に一枚翻訳者というフィルターを挟み、言語や文化の壁を調整することだ。だからフィルター役の人はいつも、どの程度元の文章に忠実に訳し、どれくらいまで日本語として違和感のない文章にアレンジするかということを悩まさせられる。それはもはや芸術家の悩みと言っても良く、翻訳家の力量によって翻訳した本が売れるかどうかが大きく変わってくる。


  元の文章のニュアンスを変えずに躍動感のある文章を書くのは非常に難しい。これは畑から掘り出したにんじんをそのまま皿においても食べられたものではないというのに似ている。料理人がある種のアーティストであるように、翻訳家も一種のアーティストなのだ。だから翻訳という知的格闘をたまに戯れにやってみると面白い。


  翻訳って芸術なんだ。わたしは尊敬する翻訳家、金原瑞人さんがゼミを持っているというただそれだけの理由で法政大学に行こうかと思ったこともある。結局その夢はすぐに消えたけれど、素晴らしい翻訳には人を感動させる力があるのである。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。