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BOBCUT〈3〉

〈illustrated by おばあちゃん5歳〉

承前


 月も星も死んだような闇が画面を覆う。

リーン……リーン……
 開始を知らせる鈴の音が反響する。
リーン……リーン……
 2度目の鈴で闇が裂け、それが幕だと気付く。その背後には錫杖を突く黒頭巾の使者が。隣にも縮小コピーしたような使者が錫杖を突き、怪しげな儀式を想起させる。
リーン……リーン……
 黒頭巾は錫杖を突き続ける。幕が持ち上がると、現れたのはルイーズ・ブルックスの巨大絵画だった。端正な顔立ち、精緻なボブカット。その全てが美しく、その全てが畏敬の対象だった。
 フラッパー達は息を飲む。彼らは確信しているのだ。絵画の神の代弁者がすぐそこまで迫ってきているのを。
リーン……リーン……リンッ
 4度目の鈴が鳴りやみ、束の間の静寂が場を包む。
…………………………………コッコッコッ
 靴音が響き、二人の使者の間から現れたのは黄金のボブカット男だった。紫紺のスーツに身を包み、照明を跳ね返すボブカットはまるで星。

「宿凰院奪徳区長の……御登壇である!!!」


 宿凰院奪徳〈しゅくおういんだっとく〉と呼ばれた男は、黒頭巾の言葉とともにゆっくりと胸の前に"十"をつくる。
 フラッパー達の押し止められていた期待が爆発した。

「奪徳さまァァア!!」「奪徳さま!」「救いを!!」
 万雷の拍手の波を奪徳は両手を広げ、制した。

「紛争、疫病に覆われ…世界は憎み、争い、大殺戮に飲まれつつある。だが、我々は平穏を生きている。それはなぜか。」

「「ボブカットの加護!!」」

「誰の御業か」

「「ルイーズ様!!」」

「その通り。我らが母が与えしボブカットこそ真の奇跡。雷に撃たれた時、私のボブカットに神通力が与えられたのがその証拠だ。」

「「ウオオオオオ!!!」」

「じっ神通力……それは如何様な!」

 メガネをかけたフラッパーの一人が質問を投げかけた。区長へ出過ぎた質問は許されない。沈黙を貫く黒頭巾が揺れると、奪徳は制した。

「よい、その質問に答えよう。私の神通力……それは世に遍く全ての事象を見通す千里眼だ。」

 聴衆が驚きの声を上げると、またもメガネのフラッパーから質問が飛ぶ。

「でっでは、1927年に不確定性原理を発見したのは?」

 奪徳は目を瞑ると一言。

「ハイゼンベルク」

「せっ正解です!!」

 この回答を皮切りに、我先にとフラッパーの質問合戦となった。

「つ、次は私が!!1996年5月10日の東京の天気は!?」

「終日晴れ。」

「では89,362+78,214=!?」

「167,576」

「私が」「よかろう」「今度は」「よかろう」「次は」「よかろう」「いいですか」「よかろう」「次は私が」「よかろう」「今度は」

「奪徳!その命もらったッ!!」

ガンッ ガンッ ガンッ

 永遠に続くかと思われた質問合戦に終止符を打ったのは、三度の銃声だった。観客席を立つ男が一人、二人、三人。銃声は彼らのものだというのは誰の目にも明らかだった。

「貴様の違法政治も終わりだ!!」

 奪徳の命を狙う凶弾。K区の長は倒れたのか。
 否。奪徳の前には、黒頭巾たちの二指が突き出されている。そして、弾丸はそれぞれ一発ずつ二指に挟まれていた!恐ろしき黒頭巾の絶技。
 そして最後の弾は、奪徳の眉間の前で静止していた。時が止まったように浮く弾丸、その下には冷え切った奪徳の眼。

「神の前では全て無意味よ、やれ。」

「「御意」」

 奪徳の命令で、黒頭巾は弾を空中に放ると、弾底にシッペを撃つ。鋭い一撃。再び息を吹き返した弾丸はカーブを描きながら、男二人の眉間に吸い込まれた。
 奪徳の眼前の弾丸が落ちるのと同じくして、男たちは崩れ落ちた。
 一瞬にして起きた仲間の死に、残された男がたじろぐ。

「バカな……ひっ」
「質実剛健ボブカット……」

 男が右を向くと、どろんとした黒目の女が上着を掴んでいた。聴衆の雰囲気がみるみる変わっていくのを感じた。左を向くと、怒気に満ちたあばた面の男が。

「永久不滅ボブカット…」「全知全能ボブカット…」
「やめろ!やめろ!」

 ボブカット憲章を唱えながら、周囲を取り巻くフラッパーが次々と男を奪徳の元へ押しやる。髪を引っ張られ、己を守る拳銃すら奪われ、男は壇上へ無様に転がった。すかさず黒頭巾の錫杖が拘束。

「見よ!大殺戮に魂を売った人間は隣にいる!誰も信じてはならない。ボブカットのみが真実へ導くのだ!」

 そう言うと奪徳は胸に「十」を掲げる。
 湧き上がる聴衆!男の顛末はどうなるのか。
 その結末を、あたしが見ることはなかった。

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 あたしは席を立ち、マイクをむんずと掴むと完璧な投球フォームで画面に投げつけてやった。

がぁぁぁいいいいいきいいいいいいんんんん

 200インチの大型ディスプレイが、マイクのハウリングとともにひび割れる。あまりに聞くに耐えない。それでもボブカット漫談に比べたら、ハウリングなんざ上等なオーケストラの演奏と変わらない。

「オイッ!指導する!!!」

 生徒指導の吉田が怒声をひっさげ掴みかかる。すかさずあたしはカウンターの飛び膝蹴り。がちん、と歯が鳴る。顎を撃たれた吉田の眼球がぐるんと反転した。秘修羅を使うまでもない。
 ふと周りを見た。ざわつく生徒、どう動けばいいか決めあぐねる教師たち。私を囲む奴らは皆ボブカット。あの奪徳の甘言をありがたがる間抜け。
 あたしの芯にどす黒いものが満ちる。さっきまで吉田だった顔が奪徳に見えた。
 宿凰院奪徳。あたしの家族、尊厳、全てを奪った男。全てを投げうってでも殺す敵。そのために、K区に帰ってきた。
 あたしは吉田に馬乗りになると、拳を振り上げる。
 一撃。また拳を振り下ろす。
 一撃。吉田の鼻からどろりと熱いものが流れる。
 再び一撃。兄との記憶が蘇る。お揃いのブレスレットを買ってくれた兄。孤児院の車に乗ったあたしを追いかけてくる兄。フラッシュのように瞬いては消えていく記憶の断片。もう会えない、紫羽兄さんを奪った男への怒りが心を塗り潰していった。
 一撃
 一撃
 一撃
 一撃
 一撃
 ……
    ……

 「はあ、はあ」と自分の息が上がってるのにやっと気づいた。鼻が"く"の字になった吉田の顔が眼前に転がっている。あたしは血塗れの拳をぼんやり見つめた。
 何度殴ったか分からないが、拳の痛みが全て物語っていた。ふらりと立つと、あたしは波が引くように開いた生徒の道から非常口を出た。
 出る前に「ありがとう」と声がかかったような気がする。それは教室で聞いたような気もするが今は関係ない。
 あたしはただ眠りたかった。
(続く)

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