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BOBCUT〈1〉

 ひらり、一閃。漆黒の長髪が空を裂く。

「ゴハァーーッ!!」
 少女の放つ飛び後廻し蹴りが、フラッパーの側頭部にめり込んだ!!ボブカット頭がゴミ箱を打ち、ごぁんと派手に金属音がした。まずい、追手に気づかれる。
「質実剛健ボブカット!!美意識追及ボブカット!!」
 狂った掛け声が、少女のいる裏通りまで聞こえてきた。
「フラッパー」 ──狂信者どもが「ボブカット十箇条」と言っていたK区のスローガンだろう。少女は奥歯を噛み締める。吐気と怒りで頭がおかしくなりそうだ。
「アタシはここだ!!!」少女は力の限り叫ぶ。逃げることもできた。しかし彼女は殺意を優先した。
「違反者!!処罰する!!」
 特殊警棒を手にしたフラッパー達が行手を阻む。泥跳ねしたつなぎと、異常に手入れされたボブカットの対比が不気味だ。
 ひゅうっと呼吸すると、少女は構え直す。いつか覚えた秘修羅〈ひじゅら〉の構えだ。
突き出した手刀には、ビーズを繋いだ子供じみたストラップが揺れる。
 連なるビーズには「UBA KAMOJI」と彫られていた。

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「久米さん、毛先は顎上2cm以内でしょ〜。ちゃんとしないと〜。」生徒指導の吉田が私の髪に手を伸ばす。べたべた。

「すみません」私は愛想笑いをしつつ教室を出た。

 火曜日、私は"ちょっと"した生徒指導が入り、居残りをさせられていた。よりによって放送の日に遅刻してしまったのだ。 
 K区では毎週火曜日と金曜日の朝に区長からの御言葉を頂く。話の内容は日によってまちまちだけど、大体世界が「大殺戮」って途轍も無い災禍に呑み込まれつつあるっていう話。

 正直私はこの話が苦手だった。あんまりにもスケールが大きすぎる話で実感がわかないし、それより友達と今日の授業が怠かった話をしてる方が気が楽だ。だから、私は放送の日はなるだけ遅刻スレスレで学校に着くようにしてた。

 微妙なラインの無言の意思表示。口に出せば、頬を張られるだけなのは小学校で学んでいた。でも口に出さなくても、教師の目についたら終わりなのは今日学んだことだ。

 思わずため息を漏らす。昔、社会の教師は「ボブカット条例」が無ければ今頃私たちは大殺戮で死んでいたと言っていた。死んじゃってもよかったのにね。

 私がもやもや考えていると、家路半ばまで歩いていた。いつもより遅い帰り道は静けさが立ち込め、虫の声が嫌にはっきり聞こえる。
 早く帰ろう、歩を早めたときだった。

「あたしはここだァッ!!!!」

 10メートル先の路地から耳が張り裂けそうな怒声。間髪入れず、駆け込むフラッパー達。手には警棒。
 心臓が跳ね上がる。間違いなく只事じゃない。引き返そうか?でも帰りたいし、うーん。私の脳内会議は熾烈を極めた。今日に限って面倒臭いことばっかだ。違反者はどうして目立たず生きられないんだろう。

「ゴハァァア!!!」フラッパーの1人が路地から射出される。勢いよく歩道に転がると動かなくなった。

 またしても私の頭はバグる。違反者が取り締まられるのは見てきたけど、フラッパーが返り討ちになるのは初めて見た。

 誰なんだろう。私は危険な好奇心を抑えられず、路地を覗いた。

 フラッパーが転がる中、立ち尽くすのは修羅だった。頭の先から爪先まで憤怒のベールにすっぽり覆われた人の形をした怒りだ。黒く長い髪がべたぁっと顔を覆う。自分と同じ女子高生と気づくまで時間がかかった。

 彼女がくるりと振り返り、私を見据える。

 私と彼女、初めての出会いだった。

(つづく)


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