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人の本質と刀はリンクしている気がする

SNSには顕著であるが、他人に毒を吐く人、自分の考えを一方的に押し付けて説教を始める人、被害妄想から攻撃に転じる人、自己の欲を満たす為に何となく攻撃する人、などなど悪絡みする人が一定数いる。
リアルの場ではなかなかこのような場面に出くわす事は無いから、SNSとはある意味人間の本質が可視化されやすい場にも思う。

そして以前から何となく感じていたが、この悪絡みをする人が所持している刀(といってもSNSにアップしている刀の写真などが多いが)を見るとその人の本質が刀に現れている気がするのだ。
どこかひねくれていると、刀もひねくれている。

当然ながらこの人に直接会った事はない。
会ってもいない人がその人の事を分かったような口を叩くな、というのは正論と思うが、会った所で人間の本質などそうそう分からない。
会社の面接も同じだろう。
多くの人は良く見せようと自分を作る。
SNSで匿名アカの人の投稿を見ている方が遥かに本質が分かる気がする。

因みに本名でやっている人は逆に本質が見え辛い。
普通に考えてある一定以上の年を取った大人が本名で誰かを誹謗中傷する人なんてそうそういない。
いたとしたら炎上マーケの一環など裏の理由がある場合が殆どか、後はただの頭が悪い人かと。
本名でやる以上はリアルの場と同じかそれ以上なので、リアルの場で暴言を吐く人があまりいないと同じと考えれば納得してもらえるだろう。
昔SNSで誰かが言っていたが、「フォロワー数は自分に銃口を突き付けている人の数」と比喩している人がいた。
核心を付いている気がする。
そういう私も本名でやっているので私の本質も恐らくSNS上では分かりづらいはず。

と、話は逸れましたが。
私も展示会などで所有刀を拝見させて頂く機会が過去に何度かあり、そこで匿名アカの方と初めてお会いする事が多いです。
…が、SNSでの投稿から感じる印象が良い人ほど、刀も良い刀である傾向が高いのは間違いない。

ここで言う良い刀は値段が高い物という事ではなく、見ていて清々しい気持ちになれるといった類のもの(だいぶ感覚的なものであるが)。
なぜ清々しい気持ちになれるか考えてみると、大きな疵があるから駄目とかそういう事ではなく変な工作や加工などがされていない真面目な刀という印象を受けるからかもしれない。(感覚の話なので実際に工作や加工がされているかは不明。何をもって変な工作かを書けば、誰か特定の刀を卑下する事に繋がる恐れがあるので避けます)

逆も然りで、丁寧で美しいと感じる作を拝見した後にその方のSNSを見て、この人暴言吐きまくるやべぇやつだ!となった事は一度もない。

展示会で拝見させて頂いた粟田口吉光の写。とても清々しく美しい良き作であった。


だから私は刀から見えてくるその人の印象というのを割とアテにしている。
他にも例えば直刃が好きな人と丁子刃が好きな人で性格も何となく傾向がありそうな気もする。
凄く偏見ではあるが、物事を冷静に考えそうな人は冷静そうな刀を、プライドの高そうな人はプライドの高そうな刀を持っている。
どんな刀だよ、というツッコミが聞こえてきそうであるが、個人の感覚なのでどうでも良い。
相関関係が明確にあるかなどは分からないが、表面上の綺麗に並べた言葉よりもずっとアテになるのではないだろうか。
まぁ刀の目利きであれば良い刀を持っているだろうし、そうした人の中に変な人がいるのはまた当然かと思うので、最後はやはりずっと一緒にいないと分からない。
つまるところやはり人の本質はなかなか分からないという結論に。


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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