見出し画像

丸櫃孔の鐔④ 薄すぎる厚みについて

個人的に結構古そうに感じている丸櫃孔のある鐔について。
以前のブログで描かれた文字の解読まで出来ました。


暫く仕舞っていたのですが久々に取り出し鑑賞。
改めて見るとその薄すぎる厚みについて引っ掛かかる。

厚みで言えば2.5~2.7mmしかない。

案の定というか横から見るとだいぶ歪んでいる。


以前もブログには書いたが、茎孔がやたらと大きく、普通にそのまま考えるとするならば3.5~4尺近い大太刀に付いていたようにも思える。

2尺3寸あたりの刀の鐔(左)との比較

この鐔の素材を何と見るかであるが、仮に山銅として考えるのであれば、手元にある室町期とされている鐔の厚みを見てみると山銅の古金工鐔であれば3.5~5.1㎜、薙刀用の山銅の古金工鐔であれば7.7~8.9㎜位ある。

古金工鐔(素銅)で3.3㎜ほど、古正阿弥の鉄鐔で3㎜ほどの厚みとなっている。古刀匠鐔(鉄鐔)で2.8㎜ほど。古刀匠についてはもっと薄く2mm程の物も存在している。

今回の鐔は少なくとも鉄ではなく、山銅か赤銅あたりに見ているが、その材質で2.5mmという厚みが如何に特殊かお分かり頂けると思う。
特殊というよりも実戦で役に立つ厚みにはどうも思えないのである。
果たして3.5尺をこえる大太刀に付けるにふさわしい鐔だったのだろうか。
実際に歪んでいるし、だからといって刀の受け疵があるわけでもない。

しかし鐔として実在してこうして手元にあるのもまた事実。
もしかすると木製の飾り太刀のようなものに付いていた可能性はないだろうか。

例えば室町時代の臨済宗の僧、一休宗純(一休さん)は自身の背丈よりも長い朱塗鞘の大太刀を腰に差し、鞘の先を地面に引き摺りながら境の町を歩いたという逸話がある、という話は以前こちらのブログで取り上げた。

これは外見を飾ることにしか興味のなくなった当時の腐敗した武士を批判したものであったも言われ、特定の人に対しての批判ではなく、当時の世相を風刺したものであったとされているという説もある。

鐔に書かれた文字については中国唐の文学者白居易の漢詩の一部と、平安の歌人である紀貫之の和歌であったが、鐔に開けられた丸櫃孔の用途の解明が進めばこの鐔を複合的に捉えて本来の姿が見えて来るような気もしている。

謎多き鐔で決して美術品として美しいわけではないですが、こうした良く分からない鐔もまた面白いですね。


今回も読んで下さりありがとうございました!
いいねを押して頂けると記事更新の励みになります。
それでは皆様良き刀ライフを!

丸い櫃孔の鐔はこれ以外にも結構あります。

↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

「刀とくらす。」をコンセプトに刀を飾る展示ケースを製作販売してます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?