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フトウコウのはなし その1.

ここに私が至ったのは、わが子の不登校をきっかけに自分が変わったからだと思う。このnoteにはわが子の不登校がどのようなもので、そこから私が何を学んだか、ということを書く。不登校の問題は、ザックリ言うと「社会によって心の自由が危機にさらされていることの現れ」だと思う。細かいことはさておき。そのような訳で、現在お子さんの不登校に悩む親の方はもちろん、今社会で、なんとなく生きづらい、と感じておられる方にも参考になると思う。
ただ、私は今も変わっていく途上にあって、これからまた少しずつ自分を取り戻していきながら生きていくと思う。だからこの文章が終わる前に私の価値観が変化して、文中に違和感が出ることもあるかもしれないが、それも含めて参考にしていただけたらと思う。
今回は、主に子供が不登校になったきっかけについてお話する。


子供の不登校は中1の夏休み明けから中3の卒業まで約2年半続いた。

最初の(というか、最後の決定打となった?)きっかけは、夏休み明けに学校に行ったら、仲良しグループのはずの子が他のグループになっていた、ということだった。子供の仲良しグループは3人だったのだが、小学校で仲良しグループだった3人がたまたま中1でまた同じクラスになり、再結集したような形だった。正直、親としては今年の一年間はこれでもう安泰、と安心しきっていた。
ところが、それが崩れてしまった。まあでも、私はそんなの大した問題じゃないと思った。たしかに安心感は無くなったが、その子がいないなら他の子と仲良くすればいいだけじゃないか。そんなことは私も学生の頃あったよ。


後に、私の人生経験なんか1ミリも役に立たないことがわかった。とんでもなかった。現代の学校では、どのグループに属しているかが、非常に重要な意味を持つのだ。それは、今この瞬間、私も活用させていただいているSNSの大いなる発展によりもたらされた影だと思う。不特定多数の他人の評価が生で直接個人に届く。芸能人でも何でもない一市民が、手のひらにある小さな機械だけで(しかもとても簡単に)世界中に自分という人間がどんな人間か、発信できるのだ。人間なら誰しも良く見せる発信をしたいのは必然だ。そんな訳で表面的なステイタスの重要性が、私たちの頃とは比べものにならないくらい高まっている。そもそも、子供にステイタスなんて無縁だったのに。自分のクラスでの位置づけが必要になるほど、社会も模擬社会である学校も、評価というものに侵食されている。

ここで一つお伝えしておきたいのは、だからといって古き良き時代に戻るなんてナンセンスなことはできない。Wi-Fiやスマホを子供から取り上げれば、ゲームの時間を短くすればOKなんて安直な手段を取るのはやめてほしい。人間は進化するようプログラムされた生き物だから。いろいろな便利が発展するのは重力と同じ、逆らえない流れなのだ。

子供の話に戻ろう。仲良しグループのAちゃんは自分の所属するテニス部の子が集まったグループに入った。子供の話をまとめると、そのグループは大人数で常にテンションが高く騒がしく、テニス部以外の子がおいそれとは近寄れない感じだったそうだ。そして子供は学校でAちゃんと話すことはできなくなり、学校生活のわからない事やささいなおしゃべりはBちゃんとしかできなくなった。

先にも話したとおり当初私は、この問題は全く大した問題ではないと思っていた。だって別にムリにそんなテンション高い人達と付き合う必要ないじゃん?Bちゃんと教室のすみっこでほのぼの仲良くしてたらいいんじゃ?それに他の気の合う子が見つかったら、むしろ人間関係広がってラッキーじゃない?なんて。

いろいろ知った後で気づいたが、もしかしたら子供は、小学校の時のAちゃんBちゃんと3人で仲の良い自分が好きで、そのポジションにいる自分をクラスという小さい社会で評価してほしかったのかもしれない。


不登校になって数カ月後のある日、近所のスーパーでたまたまAちゃんのお母さんに会った。私は少し迷ったが、嫌な気持ちにフタをして当たり前のように親し気に挨拶した。(今思えば、この時の私は本当によくやったと思う)小学校で仲良しだった経緯からお互いにママ友というやつなので。

うちの子は家にいるけど元気でこんな感じで過ごしているみたいな近況報告的な話をした。あとは、Aちゃん以外の、不登校になった他の原因についてお伝えした。


不登校になるには多くの複合的な要因が必要だ。目に見えないところで、社会で生きていく自信がほんの少しずつ浸食され続け、最終的に社会との関わりへの深い自信喪失に至る決定打が起きて、ついには「自分が異常なのだ」と不登校になる。


ちなみにわが子の場合は、Aちゃんの件以外にも担任の先生が他の子をしかると辛い気持ちになるとか、給食の完食を無理強いする等、他いろいろあった。

総合して私の理解では、ついこの前まで、小学校では男子でも「さん」付けで呼ばなくてはいけなかったのが、体育会系のノリを良しとする風潮の中学校は、子供にとって大人や社会への大きすぎる矛盾となってしまった。ましてや、それは「ついていけない自分が悪い」のだ。
私たち大人はこれまで、とても便利に「自己責任」の概念を使っていた。それがこんな形で、こんな所にまで影響を及ぼすなど思いもよらなかった。

そこに加えて、何にでも評価がつきまとう時代。家にいたって友達のタイムラインでのキラキラ自己主張が止まない。そんな中、自分の評価なんて恐ろし過ぎて意識に浮かばせることすらできなかったと思う。


話があっちこっちして申し訳ない。Aちゃんママには、Aちゃんの1件だけで不登校になった訳では無いのが私にとって嘘偽りない所だ、というのは伝わったようだった。
そしてAちゃんママは「ウチの子も大変だったの」と言った。

子供の中学は近隣の2つの小学校から子供が集まる学校だった。運動が好きで活発なAちゃんはテニス部に入った。部活に行く時の近所のメンバーがもう1つの小学校から来た子が多く、その子たちの気がきつかったらしい。Aちゃんはイジメとはいかないが、なんやかや言われたりきつく当たられたりするようになった。朝練の日の登校時も、放課後の部活の時も帰り道も、休日の部活の日なんか家を出たら家に戻るまでずっとだ。

Aちゃんママの話では、部活の顧問や同じ出身校のお友達ママに相談したり、悩み奔走したとのこと。
とにかくAちゃんは強いポジションに行かねばならない緊急事態に陥ったのだ、と私は理解した。少なくとも、そのきつい子たちと同類である証明をせねばならない。

それがつまり、夏休み明けに突然テニス部の華やかなグループの一員となり、子供やBちゃんから遠のかねばならない理由だった。


今の子供の環境って過酷すぎる、と思う。先にも書いたが、私たち大人の想像がなかなか及ばないのが、しかもそれがオン・オフ関係なく24時間続くということだ。
模擬社会でこんな過酷な人間関係に晒されてりゃ、そりゃ、社会に希望持てない若者多いの当たり前だわ。それ問題と思う大人は、足元ちゃんと固めるにはどうしたらいいか考えてほしい。
意思と根性だけじゃいつだって問題は解決できない。

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