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一週間。

この一週間、休みを取った。
とはいっても職場で何かトラブルを起こしたわけでも、会社に行けないほどの怪我を負ったわけでもない。

今月12日、水曜の夜に父方の祖父が亡くなった。
それを孫の私が知ったのは翌日夕方になってからであった。
(自分が早いうちに知ると勝手に動いてしまい迷惑をかけるかららしい。間違ってはいない)
父と祖父は疎遠な仲になっていたため、自分も晩年はほとんど会うこともなかった。

まだ夜も深くなかったのでその日のうちに上司へ連絡を入れ、翌日出社して忌引きの手続きを取った。
5月に入った会社では、祖父母が亡くなった場合慶弔休暇は最大5日間取れる。葬儀は火曜日のみで家のことを他にする訳でもない。月火水で想定していたのにそれ以上に休みが取れることになった。
入社したばかりで業務が充分に身についていたわけでなく、身についた業務内容を忘れてしまうという懸念が頭をよぎっていたが、それ以上に私は新しい業務に対しメンタルを若干病み、朝体がなかなか動けないほどになっていた。行きつけの精神科にこのことを相談すると「典型的なストレス症状」とのことだった。
ただ、別に新しい職場に取り立てて不満があるわけではない。前職に比べ大きく収入は上がったし、福利厚生も別段問題なく、疲労を訴えたら適宜休憩を入れることのできる自由さ。今回だって休みに対して柔軟に対応してくれる現場ではあるのだ。
業務を直接教えている先輩複数名とも相談を重ね、5日間フルに休みを取ることとした。これで蓄積したストレスが少しでも解消してくれればとは思っていた。
「特に何の用意もしなくていい」と父には言われていた(一応孫として花代の用意はするつもりだった)ものの、最低限の用意はしとかないとと会社帰りにハンズへ寄り香典袋と袱紗、数珠を購入。家に帰ってこの全部が紙製品でお世話になっているマルアイ製品だと知ったのは驚きだった。

週末を前々から予定していた野球遠征に使い、月曜日。
火曜日は早くから動くだろうなと思っていたため、この日の夜には実家に帰ることにした。
遠征をはさんで溜まっていた洗濯物を洗ったり郵便の手続きなどを行い、上下のスーツを抱え夜に実家に向かう。
同じく一人暮らしをしていた弟も帰ってきて久しぶりに4人が揃う。

火曜日。就活以来久しぶりにスーツを着込み、朝8時過ぎに家を出る。
もともと懇意だった寺院での家族葬。通夜もないし出席人数も多くはない。
父方の親戚と顔を合わせる機会もここ十数年なかったため、叔父叔母との挨拶をしたり成長したいとこを見てお互い驚くなど旧交を温めつつ葬式の開始を待つ。

祖父とは成人してからほとんど会う機会もなかったので現場に向かう前は割とドライに思ってはいたが、それでも祭壇、そして棺を前にするとだんだんと感情が強くなってしまう。
火葬場に場所を移すとその思いは強くなり、涙こそ流さなかったがあと少しで耐えられない状況にはなっていたかもしれない。

祖父は横浜出身でベイスターズファンだったということを精進落としの席で初めて知った。
これをきっかけに少しは交流深められたのだろうかと思うとやるせない気持ちになってしまった。

四十九日が7月末にあるとのことなのでスーツを実家に残したまま火曜夜に帰宅。
残りの休み期間は有意義に過ごしたいなと心に決めていたのだが、思ったより疲れはたまっていたらしく、水曜日の朝から体をなかなか動かせない日々が続いていた。
自宅のベッドの上でスマホの操作を続けていると午前中が終わる。
昼には何か食べないとと簡易的に食事をようやく摂る。そんな日々が続いた。
木曜日に至っては都知事選の告示日という選挙好きとしては一大イベントであるにも関わらずX(Twitter)で情勢を追うのみで体が動かないまま夜まで寝たり起きたりを繰り返すだけ。体は本当に絶不調だったと思う。

そんな中でも、動けるときにはサウナへ行くことにした。
最初こそ日が沈んだ頃に動くような夜型な行動だったものの、金曜にもなると昼には外出できるようにはメンタルが戻りつつあった。
一時的にスマホを離れ、脳内を休める。この行動を取ることだけでもリセットのきっかけにはなったとは思っている。

初めて「聖地」北欧にも行ってきた。
噂に違わぬととのい環境だった。

それでも休みの終わりはやってくる。
日曜になるとポスター巡りをしながら明日からの事を考えていた。9日間になる休みを経て果たして気持ちのリセットはどこまでできたのか。

そして今月曜の朝、京浜東北線を上りつつこの記事を書いている。不思議と今日は早く起きられた。
とりあえずはこの一日を乗り切るところから始めないと。

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