マガジンのカバー画像

コムジョの尺八歴史探訪📖

81
尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
運営しているクリエイター

#虚鐸

「虚鐸伝記」を読み解く 其の六 最終回! 虚無考案、新しい修行スタイル!

  いよいよ最終回です。       虚風が虚無に、 「なんじゃその怪しい格好は?!そちは気でも違ったか?」 と聞いている場面。            今回も、 以下、漢文が「虚鐸伝記」 かな文字入が「虚鐸伝記国字解」です。 その下に私の簡単な日本語訳。   遠方に行くときは手巾で裾を上げ脚絆をつけ、草鞋を履き、五尺四方の風呂敷で袱子と乾坤張を被い行李を包みます。         ここで言う手巾とは、裾を上げる為の紐の事。尻端折をするわけにもいかなかった為、紐で上げ

「虚鐸伝記」を読み解く其ノ五☆楠木正勝、即ち元祖虚無僧登場!

其の四からすっかり間が開いてしまいましたが『虚鐸伝記』の続きです! 其の四はこちら↓ 前回は、寄竹が虚空蔵菩薩堂でみた夢のお話、古伝二曲伝説でした。 張伯から十六代の張参まで吹き継がれていた曲は一体どーなっちゃったんでしょうね!? 張さん一家が登場する其の一はこちら↓ その後、 霧海篪 、虚空篪の二曲は吹き伝えられていきます。   近江の国、志賀の虚風の家に虚無が会いに行くの図 「虚鐸伝記国字解」より     以下、漢文が「虚鐸伝記」 かな文字入が「虚鐸

「虚鐸伝記」を読み解く其の四☆寄竹の見た夢「霧海篪 ・虚空篪」伝説!

前回は、法燈国師が虚鐸を携えて、宋から四人の居士と一緒に帰朝。その後、大勢いる弟子の中でも優秀な寄竹という弟子に虚鐸を教え、その寄竹が旅に出るというお話でした。 寄竹の旅はいかに?!   以下、漢文が「虚鐸伝記」 かな文字入が「虚鐸伝記国字解」です。 その下に簡単な訳です。         寄竹、虚空蔵菩薩のもとで、他事考えずに、心一つにして夜通し拝んでいた。     ちょっとうたた寝したら虚空蔵菩薩の霊夢を見た! その夢とは…、小さな小舟に竿を立て、海の

創始伝説「虚鐸伝記」を読み解く 其の三☆寄竹登場!

さて、前回は法燈国師(心地覚心)が中国、宋に行き、張伯の子孫、張参と仲良くなり、虚鐸を教えてもらい日本に帰国した。というところまでやりました。   まさに、日中(日宋)友情物語。   そして今回は、寄竹の登場です! 寄竹とは法燈国師の弟子。   京都明暗寺の開祖で、虚竹のこと。 虚霊山明暗寺発行の『虚霊山明暗寺』に記載された、明暗寺安牌並びに法系世代に拠ると、虚竹は開祖となっています。 心地覚心も学心となっているし、虚竹も寄竹と『虚鐸伝記』では名前は変えられ

虚無僧創始伝説「虚鐸伝記」を読み解く!其のニ☆学心と張参の友情物語

前回は、唐代の普化禅師の振る鐸の音に感銘を受けた張伯が、自分で作った竹の笛にその鐸の音を写し、16代の孫の張参までそれが伝承されたという、奇跡的なお話でした。 そしてそれから、およそ600年後の宋の時代。 由良興国寺の開山となった学心こと法燈国師が、建長元年(1249)の春に入宋し、張伯の16代目の孫、張参に出会うところから始まります。 法燈円明国師 とは? 鎌倉時代の臨済宗の僧で、普化宗の本山的な存在とされている臨済宗興国寺の開山。 色んな名前で呼ばれているのは

明暗寺系創始文献「虚鐸伝記」を読み解く!其の一

普化尺八、虚無僧尺八の始まり創設のことが書いてある文献の一つが「虚鐸伝記」(漢文)と言われている。それに注解されたのが「虚鐸伝記国字解」(日本語、かな文字に解釈した本)。 そして、この文書は1900年初頭に、偽書であるという指摘がなされ、今ではそれが通説になっています。     『虚鐸伝記国字解』の偽書の可能性は栗原広太が「尺八史孝」大正7年(1918)の中で指摘し、断定したのは中塚竹禅「琴古流尺八史観」昭和54年(1979)。 理由は、虚鐸伝記の年代の記入が無く、著