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コムジョの尺八歴史探訪📖

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尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
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#文学と尺八

なぜ古代尺八は消えたのか☆『文机談』から読み解く

『文机談』(ぶんきだん)とは、1272年前後に書かれた琵琶の西流を伝承する藤原孝時の弟子の僧、 文机房隆円が書いた琵琶の歴史物語。 藤原孝時とは、平安時代から鎌倉時代にかけての雅楽師の藤原孝道の子。父孝道は楽器の演奏・製作・修理いずれにも長じ、「管絃音曲の精微を窮す人也」と称されたそうです。孝時は二十歳の年から熊野へ詣でて、「我が芸がもし父の芸に及ばなければ、ただちに命を召しあげてください」と申され、祈請の旨が神慮にかなって、琵琶の道における第一人者となったそうな。父、孝道

文学と尺八☆『源氏物語』

尺八の日本到来は西暦600年頃。 唐代の宮廷の燕饗楽で使われたという楽器が雅楽として日本に伝わった。 本来尺八はそれぞれが十二律の各々に応ずるように作られた十二本一組の縦笛でありました。 絵画に描かれた古代尺八は、古くは平安時代の舞楽、雑楽、散楽などの様子が描かれた巻物である『信西古楽図』があります。 そして平安時代の文学と言えば、かの有名な『源氏物語』。 その『源氏物語』に、古代尺八が登場します。 さて、どのように物語に登場するのか、 まずは『源氏物語』ざっと

文学と尺八📖『吉野拾遺』

尺八の音色で魚が躍り出てくる?!🐟🐟🐟 『吉野拾遺』とは、 南朝(吉野朝廷)関係の説話を収録した室町時代の説話集のこと。 訳 懐良親王は若い頃、尺八が上手であった。芳野川への外出時に吹いたところ、見慣れぬ魚がたくさん水から躍り出て、それは珍しく類いなき事だった。昔、妙音院殿が、熱田神宮で琵琶を弾いた時に、魚が陸に躍り出たと言い伝えがある。確かに同じような事だと感じます。尺八は以前から楽書に尺八と書いてある。昔、聖徳太子が生駒山にて尺八を吹いたら、百獣が走り出てきて頭を

とりわけ憎んで厭うべし?!虚無僧ならぬ虚無族の実態が書かれた草茅危言を読む📖

18世紀末頃の普化寺や虚無僧たちの所業の実態について書かれた書物に、中井竹山(積善)著 『草茅危言』(1789年)があります。 中井竹山とは、江戸時代中期の儒学者。大坂の学問所 懐徳堂の四代目学主として全盛期を支えたそうな。 詳しくはこちらをどうぞ↓ 『草茅危言』とは、 因に、四字熟語の草茅危言の意味は、 と、言う事で、批判満載の書物なんですね。虚無僧に関してもなかなか厳しい苦言が呈されております💦 (画像はいずれも国立国会図書館所蔵) 虚無僧ノ本寺妙闇寺ハ、何ナ

暮露ってだれ?『七十一番職人歌合』を読み解く!

暮露と文学 其の一! 中世の頃、虚無僧の前身といわれる「ぼろぼろ」「暮露々々」「暮露」という人々が存在しました。 彼らは一体どのような人々であったのか⁉️ 『暮露』の名称は以下に記録があります。   十四世紀初め『徒然草』では「ぼろぼろ」「ぼろ」(始原として「ぼろんじ・梵字・漢字」) 十四世紀頃の『暮露々々のさうし』では「暮露々々」「暮露」 十六世紀初めの『七十一番職人歌合』では「暮露」     ここで簡単に…、 「暮露」の特質 ★形姿は小刀所持、高下駄

一休禅師と尺八

上記の一休さんの画像は、栗原信充画『肖像集』より。(国立国会図書館蔵蔵)。持っている棒のようなものは、尺八ではなさそうです😅 こちらも一休さん。 名古屋の虚無僧、牧原一路氏からいただいたものです。 アニメの一休さんとは程遠い(笑)貫禄のある僧侶の一休禅師です。(似た人知り合いに一人くらいいますよね) 写真の一節切は一休さんが吹いていたものとされるもので、京都府京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院、酬恩庵の宝物殿にあるそうです。このお寺は、正応年間(1288年 - 129