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コムジョの尺八歴史探訪📖

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尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
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2023年7月の記事一覧

1200年代の舞楽の口伝書『教訓抄』における尺八・短笛・猿ノ骨

平安時代、宮廷音楽で使われた雅楽尺八の滅亡後、尺八は六孔から五孔へと変化し、武士、僧侶、猿楽師、田楽師、琵琶法師、連歌師など様々な人々へと行き渡っていった。 そして、1200年代の頃は尺八は「短笛」と呼ばれていたことが、『教訓抄』という楽書に書かれている。 教訓抄とは、 まずは、 巻第四 「他家相伝舞曲物語」の目録 『蘇莫者』に、尺八が登場します。 『蘇莫者』といえば、聖徳太子です。 〈訳〉 聖徳太子が河内の亀瀬を通り、馬上で尺八を吹かれた時に、その音色を愛でて山

尺八空白の100年間に何があったのか!?

鎌倉時代(1200年代半ば)から室町時代(1300年代半ば)にかけてのいわゆる中世 に尺八という楽器のことが記された史料が無いのだそうだ。 前回の世阿弥の芸談を筆録した能楽の伝書『世子六十以後申楽談儀』も1400年代に書かれています。それ以前の鎌倉時代に書かれた「教訓抄」(きょうくんしょう)(1233成立)には「今は目闇法師・猿楽之を吹く」とある。 【教訓抄】とは、 詳しくはこちら↓ まずは、尺八研究家の本に記載された文章を抜粋すると… 山口正義著 『尺八史概説』(

古代尺八のその後☆猿楽篇📖 『世子六十以後申楽談儀』

正倉院にある尺八は、 節が三本あり、前に五つ、後ろに一つの計六孔。 古代尺八、もしくは雅楽尺八と称されている。 その頃の尺八は、盛唐期の宴饗楽・讌楽用の楽器の一つとして我が国に伝えられ、これによって吹奏された音楽は当時の中国音楽・唐楽であり、其の演奏者は大陸からの渡来人や帰化人とその系統の楽人であった。 大陸から遠路はるばる日本にやってきて演奏していたということだ。 古代尺八は、前に投稿した紫式部の『源氏物語』にも登場します。 そして、伝えられた唐楽は仏教や外来文化を

文学と尺八☆『源氏物語』

尺八の日本到来は西暦600年頃。 唐代の宮廷の燕饗楽で使われたという楽器が雅楽として日本に伝わった。 本来尺八はそれぞれが十二律の各々に応ずるように作られた十二本一組の縦笛でありました。 絵画に描かれた古代尺八は、古くは平安時代の舞楽、雑楽、散楽などの様子が描かれた巻物である『信西古楽図』があります。 そして平安時代の文学と言えば、かの有名な『源氏物語』。 その『源氏物語』に、古代尺八が登場します。 さて、どのように物語に登場するのか、 まずは『源氏物語』ざっと