11-7 クリハラ10番勝負!7
不敵な笑みを浮かべ、悠然とおれを見つめるハヤトさん……。
そのまわりに、数人の人影が駆け寄った。
「は、ハヤトー」
「ハヤトさん……」
「あ、アニチぃ。大丈夫なのかよお……」
「ハヤト……クリハラくんのアリバはどんどん高まってる……このままだと、真のアリバに目覚めるよ」
「……ヘッ。そいつは結構じゃねーか」
「聞いて! ボクのアリバが戻りつつある! つまり、ハヤトに宿っているチカラはもう消えはじめて……」
ナミさんが鋭い声を出すが、そのあとは小声で聞こえなかった。
ふたりは真剣な顔でしばらく話していたが、やがてハヤトさんはちょっと皮肉げに口元を緩めると、おれを見て大きくうなずいた。
おれたちは、福岡ファイターたちが囲む大きな円の中に入る。
「……本気でおねがいします!」
「ああ。望むところだぜ。俺に勝てるかな!?」
「クリハラ10番勝負最終番! 泣いても笑ってもこれが最後だ……はじめえええ!」
ハヤトさんが軽く両手を上げ、後ろに重心をおいた構えをとる。
隙はまったくない。どこに何を出してもすべて見切られるような、そんな落ち着いた佇まいだ……。
もともと護身術から発展した厳冬流は、どちらかと言えば受けの流派。そして、ハヤトさんはパンチもキックも両方使えるオールラウンダー……。
対しておれは、厳冬流に席は置いているものの、ボクシング技術をミックスさせたパンチ主体のスタイル。
『クリハラくん。厳冬流はおのれの持ち味を活かす自由な流派。自分の好きな方向性でがんばるといいよ』
おれやハヤトさんの格闘技の師匠である冬木先生は、そう言ってくれた。だからおれは、自分の好きなボクシングにこだわり続けたのだ。
でも、手しか使わないボクシングは、総合的に見ても不利だろう。ハヤトさんに通用するのか……。
ええいっ。今さら考えるなっ。当たって砕けろだっ。
おれは、ハヤトさんに向かって果敢に間合いを詰めた!
ジャブで牽制! すぐにハヤトさんから鋭い返しの左ミドルっ。
右肘でしっかりガードできた。ジャブを連発するうちに右脇が開くクセがおれにはあったけど、コミネさんに指摘され、必死で矯正したのだ。
さらにジャブ! ストレート! ひるむなっ。前に前に!
何発目かのストレートに合わせて、ハヤトさんの左ローキックがムチのようにしなった。だが下がらずにぐいぐい前に出たおかげで、その勢いをうまく削ぎ、クリーンヒットを外せたっ。いけるっ。
左ローを打って一瞬空いたハヤトさんの顔の左に、渾身の右フック!
は、入った……!?
と思った瞬間……いきなり誰かから右後頭部を殴られたような衝撃!
こっこれは……
おれの右フックが当たる瞬間、ぐんっと身体を前に沈み込ませて勢いを殺し、そのまま身体をねじって回転させ、右の後ろ回し蹴りを放つ……
ハヤトスペシャル……。
端から見ていると、派手な後ろ回し蹴りがどうしてあんなにポンポン簡単に敵に当たるのか不思議だった。だけど、実際に自分がもらうと、その蹴りは死角から襲いかかり、まったく見えなかった……。
……でも……
もっと驚いたことがある。
隙だらけの後頭部に、ハヤトさんの必殺の後ろ回し蹴りをモロに食らった。本来なら、その一撃でKOされていてもおかしくなかった。
なのに……効かなかった。
その威力は驚くほど低かったのだ……。
「は、ハヤトさん……もしかしてあなたは……」
……アリバが……
「……気づいちまったようだな。お前の想像通りだ。長くなるから説明はしねえが、じつは俺のはナミからの借りモンでな。おまけにそれすら消えかけてる」
ど、どういうことなんだ……?
ナミさんのパートナーとしてこの戦いを最初に始め、おれたち福岡ファイターを作った張本人が、アリバを持たない……? ナミさんからの借り物?
ドガッ!
すっかり困惑して固まったおれに、矢のような必殺パンチが突き刺さる。
「ボーっとしてんじゃねえ! いまなにやってんだ? なんのためにわざわざ仲間と戦ってきた!? 強くなるためだろうが!」
そうだ……いまはクリハラ10番勝負の真っ最中……。
「それにな。だからって、そう簡単に俺に勝てると思うなよ? ……見せてやるぜ、俺のとっておきを!」
「よーしっ! いっけえええハヤト! 『キャラバンモード』!」
「おう! 行くぜクリハラ! 集中を超えた全回避の集中……コイツが、コンセントレイトモードのさらに向こう側……『キャラバンモード』だ!」
ハヤトさんの目が変わった。真昼の猫のように瞳孔が縦に細まり、身体は前かがみに、重心は前に移り、両手は鉤爪のように軽く開かれ、その顔は牙をむき出した獣みたいになった。
そう。あたかも、おれの目の前に、等身大の獣が現れたように。
気づいたら薄笑いを浮かべたハヤトさんの顔がすぐ目の前に。
反射的にパンチを出す。あっさり空を斬る。
ドコッとカウンターの拳がおれの顔にめり込んだ。
張り付くように至近距離に居るハヤトさんを追い払うようにパンチを立て続けに放つ。
ドゴンドゴンとそのすべてにカウンターを当たられた……。
し、信じられない……。この至近距離で、攻撃がまったく当たらないどころか、ジャブにすらカウンターを合わせてくるなんてっ!
思わずフットワークで大きく後ろに下がった。
「……どうだクリハラ。こいつがキャラバンモードだ。おまえの攻撃はもう一発も当たらねえ。これならアリバとか関係ねーだろ?」
「そ、そのようですねえ。さすが無敗の白帯。とんでもない隠し玉をお持ちで」
「……けどまあ、もって五分……いや三分が限度なんだけどなっ。つまり、それまで手を出さず粘れば、自動的にお前の勝ちってわけだ」
三分が限度……? けど納得だ。アリバなしで、ここまで人間離れした回避力を発揮させるこの異常な集中力が、そう長く続くとも思えない。
ダッとおれはダッシュした。
「ムホホ! 時間切れなんてまっぴらゴメンですねえ!」
むしろ、このキャラバンモードのハヤトさんに立ち向かわねば、なんの意味もないっ!
「……へっ。そうこなくちゃな! 残り二分ちょっと。楽しもうぜ!」
ジャブ。ジャブ。ストレート。フック!
コンビネーションを駆使するが、水の中の木の葉のように、ひらひらと紙一重でかわされる!
ドカドカドカッ。カウンターがおれの顔と身体を容赦なく撃つ!
だが、ハヤトさんの一撃にはアリバが感じられない。致命打にはならない。ひるむなっ!
おれはさらに前へ出る。
ジャブッ。ジャブッ。ストレート。左右のフック。ダッキングしてボディ! スウェーしてかぶせぎみの右フック!
すべてかわされる! カウンターが襲いかかる! それでもおれは攻撃をやめないっ。
キャラバンモード……全回避とはよく言ったものだ。
たぶん、攻撃を見てかわしてるんじゃない。その集中力と観察眼でおれの筋肉や骨格の『動作のおこり』を見極め、パンチの軌道を読み、コンビネーションを事前にイメージすることで回避しているのだ……。
となれば、対抗する方法はただひとつ。
ハヤトさんが回避できないほどの大量のコンビネーションを休みなく繰り出し、ラッシュで一気に畳み込むしかない!
ジャブッ。ジャブッ。ストレート。左右のフック。ダッキングしてボディ! スウェーしてかぶせぎみの右フック! アッパー! 左右に振るジャブッ。左フック! しゃがんでさらにボディに左フック! 右フック! スウェーしてすぐにワンツー! リズミカルにワンツーの連打! 距離を詰めてアッパー! 左右のフック!
今まで何千回、何万回と繰り返してきた動き。
いじめられた中学時代、強くなりたくてボクシングを始め、ちょっとずつ貯金したなけなしのお金でサンドバッグを買い、高宮八幡宮の宮司さんに頼み込んで自分のジムを作り上げ、毎日毎日、暗くなるまで叩き続けたこのコンビネーション。
頭の中が真っ白になっていたが、考える必要なんてなかった。
そのすべての動きは、おれの肉体に、魂にまで刻み込まれていたから。
これだけ打っても、ハヤトさんはそのすべてを回避し、一発も当たらなかった。もっとだ。もっと速く。もっと連打して。もっと回転を。もっともっともっともっと……。
「バーニング!?」
ナミさんが叫んだ気がした。おれの身体に緑色の焔が立ち上っている。けどおれの頭には、目の前で獣のように牙をむき出し笑みを浮かべるハヤトさんにパンチを叩き込むことしかない。
ジャブッ。ジャブッ。ストレート。左右のフック。ダッキングしてボディ! スウェーしてかぶせぎみの右フック! アッパー! 左右に振るジャブッ。左フック! しゃがんでさらにボディに左フック! 右フック! スウェーしてすぐにワンツー! リズミカルにワンツーの連打! 距離を詰めてアッパー! 左右のフック! チッとハヤトさんの顔をパンチがかすめた。
「!?」
頭をねじこむように前に出て、さらにワンツースリー! ボディに外側から叩きつけるように左右のフック! 前にダッシュ。ジャブジャブジャブッ。最後の一発がハヤトさんを捉える。フック。手応え。ぐうっとハヤトさんの動きが止まる。おれは止まらずにさらにコンビネーションを注ぎ込む! ワンツー。フック。アッパー。そのすべてがハヤトさんにヒットする。さらに連打! 連打! これだっ。おれがずっと追い求め、頭にはあったコンビネーション。コンビネーションアーツ!
さらに両腕を動かす。狂ったようにおれはパンチを撃ち続ける。壊れた機械のように。ワンツー。ワンツー。左フックがぷうんと空を切る。やみくもに、溺れた人間のように両腕を動かし続けるおれの身体を、ガッシリとした太い腕が抱きすくめた。
「クリハラ……もういい。終わったのだ」
「…………え?」
そこでおれは我に返った。ハヤトさんが、大の字になって倒れていた。
コミネさんが叫ぶ。
「勝者! クリハラアアアア!」
うおおおおおおおおおおお!!!
福岡ファイターのみんなが大歓声を上げ走り寄ってくる。
「く、クリハラアアア! すげえぞ。おまえ、あのアニキに勝っちまった!」
「まったくたいしたヤツだぞおっ……ハヤトのなんとかモードにも驚いたが、最後のラッシュはすごかったなあ」
「全回避の集中……キャラバンモード。すさまじい技でゴザった……だが、クリハラの執念がそれを上回ったということでゴザるな」
「すごかったなー。あのコンビネーション出されたら、オレも負けてたよー」
「……クリハラも目覚めたな。僕には感じたよ。緑色の疾風……真のアリバを」
「………………………………」
「すっげ。マジすっげ! あのハヤトさんに勝つとか、クリハラもう最強レベルやんっ」
「……あのークリハラさん。カムラめの、最初の不意打ちについての釈明と謝罪をば……」
「おまえは一度『カムラ10番勝負』して、性根を叩き直したほうがいいですな」
「…………痛テテっ。ったくよ、ムチャクチャしやがって……加減ってもの知らねーのか? とんでもねーコンビネーションだったぜ……」
「ハヤトの完敗だったね。……ハイ。ヒーリング終わり。ちょうどボクにアリバが戻って、こうして治療できたからよかったものの、バーニングしたクリハラくんのラッシュをマトモに受けるなんて、無茶にもほどがあるよっ」
おれは、ハヤトさんとそれを介抱するナミさんのところに歩み寄った。
「は、ハヤトさん……おれ……」
キャラバンモードも終わり、すっかり元に戻ったハヤトさんは爽やかに笑った。
「俺の負けだよ。まあ、キャラバンモードとか言ったって、しょせんは付け焼き刃の小細工。地道に努力して身に着けた、お前の本物のコンビネーションにかなうわきゃねーよな」
「…………ど、努力……」
「そうだ。努力だ。ハヤトもまた、おまえが必死で努力したことを知っていたのだ。いや、仲間全員がそうだろう」
まわりを見渡す。みんなが笑顔で大きくうなずいた。
「……報われたじゃねーか。いいや、お前の努力は、報われねーとダメだ」
ハヤトさんが立ち上がりながら言った。万感の思いが胸にあふれる。
ハヤトさんには、聞きたいこともたくさんあったが、それよりもまず最初に、おれがいちばん口にするべきことを言った。
「ハヤトさん……ありがとうございましたああああ!」
「クリハラよ……最後の決めのラッシュだが、『クリハラ七死星天』と名付けるがよい……」
「え。いやです」
「え? なんで……?」
「……あ、いや、なんとなく」
「……もうっ。コミネさんがバカな名前つけなくても、あの技にはもう名前があるんだから……ホラ」
ナミさんがタブレットの画面を示した。そこには……
レベル4『コンビネーションアーツ』
「コンビネーションアーツか。フッ。それもまあ悪くない……」
コミネさんが照れ隠しのようにタバコに火を点けたとき。
神社の社の陰に人影が見えた。
その手に持つ黒い金属が、眩しい夕日にぬらりと光った……銃……?
「ヒャッハーーーー! 死ねやーーーッッ!」
パンッ。
乾いた音が夏の夕暮れの空に響いた瞬間……
おれの左胸に衝撃が来た。痛いというより、熱かった。自分が撃たれたというのは、よくわからなかった。
一瞬の後、大きな針で胸を突き刺されたような、激しい痛みがきた。
放心状態のまま右手でそこに触ると、ベットリとした赤い血が、手のひらいっぱいに付いていた。
急に力が抜けておれは倒れ、別人のもののようになった身体が、ガクガクと痙攣し始めて……
「く、クリハラアアアアアァァァァァーーーーーーーーー!!!」
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