7-1 悪意の娘
―― ねっとりした香のただよう暗い部屋。
長身の男が、忌々しげに、ワタシに言った ――
「教団本部の科学局から通達があった。……【M-002】。おまえは品質不良により、不合格と判断された」
「………………………………」
男「…………期待はずれにもほどがある。思えば、最強の悪意の幼生体は『風属性』だったと聞いている。その遺伝的複製体であるはずのお前が、『氷属性』だったときから、嫌な予感はしていたのだ」
M-002「………………………………」
男「強力な悪意のコピーを量産し、教団内で確固たる地位を築く予定が、すべて水の泡だ」
M-002「…………ご、ごめんなさい……お父さん……」
男「私を父などと呼ぶな! 親子ごっこは終わりだ。近く、お前の廃棄処分が正式に決定されるだろう。世間をあざむく演技は、もう必要ない」
「………あ、あの……」
父「なんだ?」
M-002「こ、高校へは…………もう……?」
「……高校? まさか東和への通学のことを言ってるのか? 寝ぼけるなっ。高校生のフリはもう必要ないと言ってるんだ! これ以上イライラさせるな! ……いや……待てよ」
父は私の身体を値ぶみするように見た。
そして冷徹な口調で言った。
「脱げ」
「………………」
父「脱げ。と言った」
M-002「………………は、ハイ」
ワタシは、震える指でブラウスのボタンを外し、制服のスカートを脱いだ。それから、下着をはずしてハダカになった。
「……ふむ。お前の身体構造は、普通の十代の娘となんら変わらん。それは使えるかもしれんな」
ぐいっと乱暴に身体をつかまれた。
M-002「……あっ!」
父「コノミ……おまえ、あのアリバの連中に、女として接近しろ」
M-002「…………え?」
「調査部によれば、あいつらのリーダー『ハヤト』とかいう小僧は、女たらしらしい。色仕掛けでもなんでもいい。ヤツに接近し、骨抜きにしろ。そして、連中を内部からガタガタにするんだ。そうすれば、私の出世の道も、また開かれるかもしれん……」
「…………そんな…………ワタシ…………できません」
パシンッ! 鋭く頬を叩かれた。
M-002「……あっ!」
「だぁかぁらぁ、イチイチ口答えするなとっ、なんど説明したら理解するんだっ、この愚鈍めがっ! だから、『最強の悪意の幼生体』として製造されながら、まともな悪意も身につかなかったんだっ。この失敗作! 失敗作! 失敗作めっ!」
バシッ! バシッ!
狂ったように「失敗作」を連呼しながら……
父は何度も竹刀でワタシを打った。
ワタシはそれをジッと耐える。
悲鳴をあげたら……それがまた父の怒りを買うからだ。
しばらくすると、気が済んだのか、ハアハア荒い息をついた父は、グラスに酒を注ぎ、一気に飲み干した。
「いいか。手はずはこうだ……」
父は、血走った眼でワタシに計画を話した。
ワタシはそれを拒否できない。することを許されていない。
ワタシには何も許されていない。
高校に通うことくらいしか……。
そして、それすら、もうすぐ取り上げられてしまう。
……ワタシは……悪意の娘。
……最強の悪意の幼生体の……複製品。
でも、ワタシはそれにはなれなかった。
だったら……ワタシは……いったい……ナニ……?
◆
―― 東和高校の近くの路上。
ワタシはあのひとを待つ。
東和に通い始めて以来、いつも見つめていたから、ワタシはあのひとがいつここを通るか知っている。
……トクンッ。
心臓が高鳴る。あのひとが歩いてくる。
計画通り、父の用意した悪意が、ワタシに襲いかかる。
「きゃあああああああああああ!!!」
「むっ!」
シモカワ先輩がタッと駆けてくる。
シモカワ「悪意か! この僕が居る限り、東和の学区で好きにはさせないぞっ!」
シモカワ先輩は炎の尾を引いたピックを振り抜く!
「燃えろおッ!」
ズバッ!
ワタシを取り囲んだ悪意の男たち三人を、先輩は目にもとまらぬスピードで切りまくった。
まるで華麗なフィギュアスケーターが鮮やかなダンスでも踊るように。
悪意はあっという間に倒された。
先輩がふうっと息をつく。王子様のように気品あふれる身体が、炎の切れ尾を、不思議なアクセサリーのようにまとっていた。
ワタシはボーッとそれに見惚れる。
「その制服……キミも東和のコだね」
「…………は、ハイッ!」
ワタシは真っ赤になりながらうわずった声を出す。
M-002「あ、あ、あの……あの……シモカワ先輩っ。助けてくださって、ありがとうございます……」
シモカワ「うん? 僕の名前を知ってるの?」
「ハイッ! シモカワ会長を知らない東和生徒なんて居ません! もっと言うなら、このあたりの学校の女の子で、先輩を知らないひともたぶん居ませんよう……!」
「あはは。そんなに有名だなんて、知らなかったよ」
先輩は少年のように、照れた笑みを浮かべる。女の子みたいに整った顔……。けど先輩の美しい顔の中には、紛れもない強さも見え隠れしてるって、ワタシはずっと思っている。
M-002「…………痛っ」足首を押さえた。
シモカワ「…………大丈夫?」
M-002「あ、ハイッ。ワタシってどんくさいから、さっき襲われたとき、ヒネっちゃったみたいです……」
先輩は唇の端を少し持ち上げると、「はい」と言って背を向け、しゃがんだ。
M-002「え」
計画通りの展開だと言うのに、ワタシは心臓が破裂しそうなほど、ドキドキする。
「……ほら。おいで。イヤじゃなければ、だけど」
「シモカワ先輩におんぶしてもらって、イヤな女の子なんて、この世に居ませんよう」
シモカワ「はは。それはおおげさ」
おそるおそるその背中に身を預けた。
男のひとにしてはキャシャだけど、ワタシもちんちくりんだから、バランスは悪くないよね。とか考えながら。
「よっと」
「……ごめんなさい。ワタシ重くないですか……?」
シモカワ「ぜんぜん。トリみたいだ」
M-002「くすっ」
シモカワ先輩におんぶしてもらい、ワタシたちは一緒に帰り道を歩いた。
「…………お礼、しなくちゃいけませんね」
「お礼か。じゃあひとつお言葉に甘えようかな」
M-002「…………あ、ハイ。ワタシにできることならなんでも。なにをすればいいですか?」
シモカワ「なまえ」
M-002「え?」
シモカワ「なまえを教えてもらうってのはどう?」
M-002「あ……ワタシ、緊張しちゃって、名前もまだ言ってませんでしたよう……」
実験体M-002。
……それが父と教団に与えられた、ワタシの本当の名。
「……コノミです」
「そっか。コノミ。いい名前だね。僕はシモカワ」
コノミ「くすっ。知ってますよう」
この帰り道がずっと続けばいいのに。
そう考えながら、二人で歩く帰り道。
先輩はずっとワタシをおぶってくれた。
そして、いっぱいお話をした。
途中ですれ違う、東和校生の女の子のシットと羨望の視線を浴びながら……
自分の立場も、正体も、父の計画も、ワタシの先の処遇も忘れ……
時を忘れるほどの幸せと、ほんのちょっぴりの優越感に浸りながら……
◆
……父の計画。
それは、稚拙で、愚劣で、最低の計画……。
シモカワ先輩をとっかかりにして、アリバに接近し、ハヤトというひとに近づく。
「まずは、東和の生徒会長に気があるフリをして近づけ」
父はそう言った。ワタシの本当の恋心なんて知りもせずに。
よりによって、ずっと憧れていたシモカワ先輩を利用するなんて。
それでもワタシは、遠くから見つめるだけだった先輩と、知り合い、仲良くなれて、幸せだった。
―― こうして。
愚かな【悪意の娘】の……
短い……
あまりにも短すぎる……
ひと夏の恋は幕を開けたのだ ――
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