11-3 クリハラ10番勝負!3
血のように赤い空。
影絵のような黒い木。
あちこちで反響する嘲笑。
火のついたライターが、クリハラ・メモに近づけられていく……。
『や、やめろっ!』
『その口のきき方はなんだって聞いてんだろおがよォ? やめて欲しかったら、やめてくださいだろうがっ』
『や、やめて……ください……』
『チッ……なさけねーヤツ』
「やめて欲しかったら、これに顔つけて土下座しろや」
犬のフンを指差し、男がおれに命じた。
おれは、悔しさと情けなさで嗚咽しながら、言われるままにひざまずき、顔を……
『その必要はねえぜ。クリハラ』
力強い声が響く。
そこに立っていたのは……
『だ、だれだ!』
『名乗るほどのモンじゃねえさ……。だがな、俺の仲間にずいぶんとナメたマネしてくれるじゃねえか』
ハヤトさんは、素早くダッシュして、有無を言わさぬ必殺パンチ!
ドゴッ!
男がぶっ飛び、手に持ったライターがカランと転がった。
ハヤトさんの手には、魔法のようにクリハラメモが。
『クリハラ……よくひとりで耐えてきたな。けど、もう大丈夫だからな。あとは俺に任せとけ』
ハヤトさんは優しく微笑むと、おれの手にクリハラ・メモを渡してくれた。
『て、テメエ! い、いきなりなにしやがんだよおおおっ!』
真っ赤に腫れた頬を押さえて、男が身を起こす。
ハヤトさんはまたダッシュして、電光石火の一撃をお見舞いした!
ぎゃん!
犬のような悲鳴を上げて、男は転がる。
『ん? なんか言った?』
『……ぐぎぎっ。て、テメェ……こんなことして……た、ただで済むと思って……』
『あのなあ。それが目上のモノに対する口のきき方か?』
快活に笑うハヤトさん。でも、その笑顔の奥には、必殺の怒気が見え隠れしていた。
『あなたさまは、このようなことをして、本当によいと思っているのでしょうか、だろ? 返事はもちろん『当たり前だ、このタコ野郎』だがな!』
ドガッ! バキッ! グシャッ!
『ぐひいいい……な、なんなんだよ、なんなんだよアンタはああああ』
何倍にも顔を腫らした男は、泣きべそをかいた。
『お前、俺の言ってること、理解できねーのか? バカなのか? 口のきき方治すためのお仕置きがもっと必要か?』
ハヤトさんは男に見せつけるようにギュッと拳を握りしめる。
『お、おい! なにやってんだよっ』
そこへあのボクサーが現れた。
『あんた、クリリンの仲間かよっ? この俺様に勝てると思ってんのか?』
男がファイティングポーズをとる。
『へっ。ボクサーか。ま、厳冬流にゃ、チョロい相手だけどな』
男は素早いフットワークでハヤトさんに肉薄する。
そこへハヤトさんの鋭いローキック!
ムチのようにしなる左足が、重心を落としたボクサーの右太ももを打った!
顔をゆがめ、動きを止める相手に、猛烈な右のミドルキック!
相手はたまらずガード。
だが、ボクシングの片手ガードでは、重たい厳冬流の蹴りを受け切ることはできない!
『ぐうっ』
苦悶の表情を浮かべる男。
だがそこは、天才ボクサー。それでも、返しの右フックをハヤトさんの顔面に入れ込んできた。
鋭い右フックが、ハヤトさんの顔面を撃ち抜く!
……と思った瞬間、ハヤトさんの身体がぐんと前に沈み……
そのまま回転した!
爆発的な回転力を与えられた右後ろ回し蹴りが、男の後頭部から襲いかかる!
男は、後ろからハンマーで殴られたように、地面になぎ倒された。
ハヤトスペシャル…………それは、一瞬の出来事だった。
しゃがみこんだハヤトさんは、ヒクヒクしているボクサーの髪をひっつかんで、乱暴に顔を持ち上げた。
『おーい。聞こえてるかー? お前、歯ごたえなさすぎるぜ? これに懲りたら、俺たち福岡ファイターには二度と逆らうなよ? 言っておくが、クリハラが本気出したら、この俺より強えんだぜ?』
男は、カニのようにブクブク泡を吹き、白目をむいている。
『チッ。聞こえてやしねえ。……あとなー。そこの姉ちゃん』
ハヤトさんは、後ずさりするハズキを見ないまま、怖い声で言った。
『あんまり男ナメないほうがいいぜ。そのうち、痛い目見るかもよ?』
スクッと立ち上がり……
静かにハズキに詰め寄って……
『……………………………………』
ハヤトさんは、怯えるハズキの顔にゆっくり自分の顔を近づけると、射抜くような目でにらんだ。
『……返事は?』
『……は、ハイ……ごめんなさい……』
ハズキは気圧されてよろよろと尻もちをついた。そして、股間のあたりから、チョロチョロと湯気のたつ水があふれ出した。
羞恥に顔を染めるハズキ。
ヒクヒクと無様に痙攣するボクサーの男。
泣きべそをかきながら「スイマセン」を連呼している手下。
微笑むハヤトさんの勇姿。
それらが、ぼんやりとにじんで、暗転し……
「!!!!!!!!!!!!」
……そして、目が覚めた。
目が覚めるまで、おれは、それが夢だとは気づかなかった。
起きたときの気分は、これまでで最悪だった……。
アイツらへの復讐……。
それを、自分ではなく、ハヤトさんにやらせる……。
なんて夢なんだよ……。
これが、おれの深層心理に刻まれた、本心なのか……。
だとしたら、おれは……おれは…………。
◆
「……よし。今日はここまで」
いつもの高宮八幡宮の朝練。スパーリングの途中で、コミネさんが言った。
「……え? でも、まだそんな時間では……」
「……クリハラよ。集中していない状態でのトレーニングは無意味だ……」
「………………………………」
「どうしたのだ? 今日はずいぶんと散漫になっているようだが。練習熱心なクリハラらしくないではないか」
「………………………………」
「このコミネ、戦友《とも》のためなら、相談に乗ることもやぶさかではないぞ……?」
「……コミネさん。実は、ずっと考えていることがあるんです」
「……聞こう」
「おれの作ったランキングのことなんですが」
「クリハラ・ランキングか」
「ランキング1位はコミネさんで間違いありません」
「……ふむ。クリハラにはそう見えるという話だったな」
「……それでは、コミネさんはハヤトさんの強さをどう見ますか?」
「……ハヤトか……」
「おれは、正直、ハヤトさんの力に疑問を持っています。厳冬流の兄弟子でもあり、無敗の白帯の異名をとるほどのひと……。でも、最近のハヤトさんは、戦力として、精彩を欠くように思えてならないんです。正直に言って、カムラやカワハラより劣るとすら思っています」
「………………」
「だけど……だけど、それでも、おれはあのひとが弱いとは思えない。クリハラ・ランキングで最下位だと決められないんですよ」
「…………そうだな」
「コミネさん……強さってなんなんでしょうか? どうしたら、おれは、今より強くなれるんでしょうか?」
……おれは、もうひとつの肝心な質問をはぐらかした……
―― おれは、クリハラ・ランキングで、何位くらいでしょうか? ――
「……このコミネ、強さというのが何かは、正直ハッキリはわからぬ。クリハラ・ランキングの順位も、ハヤトの持つ強さの正体も、おまえの本当の疑問の答えも、な」
コミネさんがすべてを見透かしたように唇を曲げた。
「……だからクリハラよ。こういうのはどうだろうか。仲間と一度本気でぶつかってみるのだ。名付けて、『クリハラ10番勝負』!」
「く、クリハラ10番勝負……!?」
「そうだ。おまえ自身が仲間全員に戦いを挑む、本気のスパーリング。それがクリハラ10番勝負……! そうすることで、何かしら得るものがあるはずだ……」
「ムホホ……それは面白そうですが、しかし、属性はどうなるんですかねえ? 風属性のおれは、氷系のカムラやカワハラには強いですが、炎系のカスガさんやシモカワには不利ですよ?」
「負けるがいい……」
「……ムホ? い、いま、なんと?」
「クリハラよ……このクリハラ10番勝負。なにも勝つためにやるのではない……。仲間に全力で挑み、戦うことで、おまえ自身が成長するのが目的だ。負ける戦いもまた、きっとおまえの成長の助けになるだろう……」
「……こ、この天才に負けろと?」
「もしそうなるのなら、それも運命《サダメ》……。戦う順序はおまえ自身が定めるといい。なんなら、おまえの考えるクリハラ・ランキングの強さの順で相手を選び、一番強敵と思う相手をラストに据えるというのも一興」
負けるのを覚悟のうえで、不利な属性の相手も含め、福岡ファイター全員との勝負……。
そうすれば、おれは、今の自分に足りないものを見つけられるのだろうか……?
強さの本当の意味がわかり、今度こそ、自分を変えることができるのだろうか……?
「……ムホホ。それは、過酷な10番勝負になりそうですねえ……。わかりました。おれ、やってみようと思います!」
おれとコミネさんはさっそくカタギリ家へと向かった。
そして、驚く福岡ファイターとナミさんに、10番勝負の挑戦状を叩きつけたのだった……。
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