1-13 夕暮れのエピローグ
眠るように気を失ったマユを抱いて、半壊した遊園地の、まだかろうじて形を保っているベンチに連れていった。
あたりは、巨大な竜巻でも通り過ぎたあとみたいにめちゃくちゃだ。
こりゃしばらく営業は無理だろうな……。
ベンチに座ったナミが、柔らかそうな太ももを閉じて、マユを膝枕していた。
優しい面持ちで、マユの汚れた顔を拭い、髪を梳く。
……そういや、鴻巣山で、俺にもこんな風にしてくれたんだっけな。
「…………ん」
やがて、かすかな吐息と共に、マユが大きな瞳を開いた。
「マユ。大丈夫か?」
「……おにい……ちゃん? ……おねえちゃん……?」
「よかった。気がついた?」
ナミが優しく微笑んだ。
「……あれ……? マユ、どうしたの……? なんでこんなところで……」
マユは夢うつつのまま身を起こした。
ベンチにナミと隣り合って座る。
俺は、マユの目の高さまでかがんで、声を掛けた。
「なにも覚えてないのか?」
「おにーちゃんとハピネスでわかれてから……アピロスにむかってたら、なんだかすごくサビシクなっちゃって、そこからキオクがないの……」
「……きっとそのときだよ」
ナミが俺にだけ聞こえるようにささやいた。
「……ナミ。悪い。ちょっとマユとふたりで話、させてくれねえか?」
「……………………」
冷たい目でジロリとにらまれた。
戦闘中は、俺への態度も変わって、まるでパートナーのように接してくれてたのに……
終わったら、もう元のツンケンな態度かよ。
「ふん。好きにすれば?」
ナミは少し離れた街路樹にクールにもたれかかった。
俺はナミと入れ替わるように、マユの隣に腰掛けた。
よく見るとマユは小刻みに震えている。
震える小さな手を握った。
「ごめんな。俺は、もっとマユの話を聞いてあげるべきだったんだ」
「……おにーちゃん……」
「聞かせてくれるか? マユの話を」
……そうしてマユは聞かせてくれた。
両親が離婚し、マユをどっちが引き取るかで夫婦がモメたこと。
父親は女と一緒に出ていったこと。
結局引き取ることになった母親が、仕事で大変だからって、マユを邪魔もの扱いしたこと。
そのせいで、自分の存在が他人の邪魔になると怯えたマユが、うまく笑えなくなったこと。
そんなマユを、学校の同級生たちは「ロボット」と言ってバカにしたこと。
「ずっとひとりで、寂しかったんだな。いっぱい我慢してたんだな。辛かったな……」
俺はマユの頭をポンポンと撫でた。
「………おにーちゃん……。おにいちゃーーーん!!」
マユは突然俺の身体にしがみついて号泣し始めた。
「マユ、ひとりぼっちで、じゃまもので、だれもマユのことわかってくれなくて!!」
ダムが決壊したかのようにマユは泣く。
今までずっとこらえてきたんだろう。
ふと街路樹のナミのほうを見ると、ハンドタオルで目頭を押さえていた。
俺の視線に気づくと、慌ててぷいっと顔を背ける。
「……ウチもな。お父さんとお母さんが大ゲンカしてた時があったんだ。だから、マユがどれだけ辛かったかよくわかるよ」
「……おにいちゃんも……同じ……」
「実は俺には弟が居るんだ」
「お兄ちゃんって、本物のお兄ちゃんなの!?」
「はは。そうだよ。んでな、俺も辛かったけど、ソイツはもっと辛そうだった。……だから、俺は『ツライ』なんて言うわけにはいかなかったんだ」
「………………」
「コイツのためにも、弱いとこは見せられないって思った」
「……お兄ちゃん」
「……自分のためには頑張れなくても、誰かのためにならけっこう頑張れるもんさ」
「……だれかのため……?」
「マユ……。俺のために、頑張れないか?」
「………………」
マユは両手の拳でグシグシ目をこすった。
「……うん……やってみる。お兄ちゃんのためにも、もうツライなんていわない」
マユは健気に笑うと、ぴょんと元気にベンチから立ち上がった。
「おにーちゃん」
「うん?」
「マユね……ねむってたとき、ユメをみたの。すごくこわいユメ」
「……ああ」
「……風の妖精が、バケモノみたいになって、世界中をコワして、たくさんの人たちを傷つける……そんなユメ……」
「……断片的な記憶が残ってるのかも……ね」
いつのまにかそばに来たナミが、そっとささやく。
「でも、風の妖精にさらわれたマユをね、誰かが助けてくれたんだよ。………あれ、おにーちゃんだったような気がする……」
「はは。そいつは光栄だな。夢とはいえ、な」
「えへへ。……ホントにゆめだったのかなあ」
「……夢さ。ぜんぶ、悪い夢だよ」
マユは、頬を染めながら俺の腕に力強くしがみついた。
「ありがとう。あれがゆめだったのか、ほんとうのことかはわからないけど、おにーちゃんが来てくれたことはホントのことだもん。マユ、今日のこと、ゼッタイに忘れないよ」
決意に満ちた顔で俺を見上げる。
「……いつか。いつか、おにーちゃんが大ピンチのときは……マユが、ゼッタイに助けてあげるからね……」
「ハヤト」
沈みかけた太陽をバックに。ナミが俺の名を呼んだ。
「あのとき……ハヤトが痴漢行為を働いたとき」
それ、もしかして俺がマユを抱きしめたときのことか? なんて表現しやがる……。
「あの時点で、『あの子』はレベル4の必殺技【メイルシュトローム】をすでに覚醒させていた」
ナミは、いつのまにか出したタブレットを見ながら、言葉を繋いだ。
「威力255。命中精度100%。使った本人ごと、このアピロスの遊園地を壊滅させられるほどの、最強の悪意にふさわしい、超威力の技だった。でも」
ナミは、子猫のように俺にしがみついたままのマユをじっと見る。
「……あの子は使わなかった。使う気配すら見せなかった。ただ、じっとして、ハヤトのされるがままになっていた。……なんで?」
「おまえにわからないことを、俺にわかるわけねーだろ?」
ここ数時間の出来事はあまりに情報過多で、俺の脳みそはパニックを起こしてるぞ。
「ハヤト、あの時、悪意を"倒す"んじゃない。"救うんだ"って言ったね」
「え? おれ、そんな事言ったっけ?」
「そして本当にあの子は救われた。予想もしなかったカタチで」
「予想?」
「こんな展開は誰も想定してなかったよ」
「展開? 想定? ナミ……お前は何を知ってる!? 悪意ってなんなんだ!」
「イレギュラーが生じた。シナリオが、予想もしない方向に進み始めた。これなら……変えられるかもしれない」
答えになってねえ。聞いてやしねえ。
「『誰かのためになら頑張れる』……だって」
俺がマユに言った言葉か? ふ、不覚……。聞かれてやがった。
マユ相手なら平気だったのに、ナミだと無性に恥ずかしいぜ……。
けれど、ナミは真剣な表情で、茶化してる感じはまったくない。
「とにかく。おつかれさまでした」
そう言って、スカートのポケットから取り出したレッツ・プルを渡してくれた。
それは、ナミの体温で少しぬるくなっていた。
「お、おう。サンクス」
ごきゅっと一気に飲み干す。そういや、俺、自分がボロボロだって忘れてた。HPもたぶんギリだったはずだ。
「……そんなハヤトなら……」
ナミが夕日に向かってぽつりとつぶやいた。
巨大な太陽は地表に沈む寸前だ。
「……すべてを、ひっくり返せるかもしれない」
踊るようにくるっと俺に背を向けたナミの言葉は、オレンジ色の光に溶けて、よく聞こえなかった。
ナミは、唐突にこっちを振り返った。
そして、力を込めて言った。
「敵は悪意。……人の心に棲まう闇」
その表情は……逆光で見えない。
もう何度聞いたかわからない、そのフレーズ。
「立ち向かうはアリバ。心の力、アリバ……!」
「…………アリバ……」
「いま、この街が、福岡市が、悪意によって侵略されようとしている。ボクの使命は、悪意と対抗できるだけのアリバを持つ戦士を探すこと。そして、アリバと共に、悪意に立ち向かうこと」
「戦士……」
「どうやら、ハヤトがその最初のひとりみたい……。ウソみたいだけどね」
「俺が……」
口を開きかけた瞬間、『ウーーーーー』とあまり聞きたくないサイレンが遠くから聞こえてきた。
「ゲッ!? この騒ぎで警察が来やがった!」
冗談みたいな数のパトがアピロスの周囲を取り囲み始めてやがる!
「お、俺、防火シャッター何枚もぶち破ったぞ!? しかもエレベーター落下させたし!」
「罪もない一般人をぶっ飛ばしたり、小学生の女の子にセクハラもしてたよ!」
セクハラはともかく、このアピロスの惨状、どさくさに紛れて全部俺のせいにされかねん!
「ナミ! マユ! とりあえず非常出口から逃げるぞ!」
「らじゃー!」
「え? ちょッ……」
問答無用でマユとナミを両脇に抱きかかえ、非常階段を駆け下りる!
女の子とはいえふたりを軽々と抱えられるのも、アリバの力か。
「どさくさに紛れてドコ触ってんだー!」
「うっわーい! はっやーい!」
やっとナミが核心めいた事を話し始めてくれたが、今はそれどころじゃねえ! 法学部の学生が逮捕されてたまるかっ。
俺たちは夕闇迫る野間の住宅地を走り、アピロスを後にした。
そして、元気に手を振るマユと別れ、家路についたのだった。
◆
……199X年7月22日。
こうして俺たちの最初の事件が終わった。
それは、俺と、ナミと、悪意と、アリバと、福岡市と、11人の仲間たちをめぐる、
長い長い物語の、最初の一ページに過ぎなかった。
……夏が始まろうとしていた。
その裏で、とてつもなく大きな陰謀が、着々と進行していた。
……なのに俺は浮かれていたのだ。
マンガの主人公にでもなった気分で。
ちゃんと冷静に考えるべきだったのに。
もっと注意深く、慎重になるべきだったのに。
なんの変哲もない平凡な大学生である俺が、どうして『主人公』として選ばれたのかを。
俺に、そんな器があったのかを。その理由を。
ナミを失った今……
激しい後悔と共に、はじまりのこの日を振り返る。
俺は、どこで選択肢を間違えた?
どうすればナミを助けられていた?
俺ならば運命を変えられると……
すべてをひっくり返せるかもしれないと……
ナミは信じてくれたのに、
俺はその期待に応えられなかったのだ。
このあと、最悪な形で、この物語はラストを迎えることになる。
だが、それはまだ先の話。
とにかく、この時の俺は、ただ、浮かれていたのだ。
……この俺を「偽りの主人公」とした、
【福岡ファイト】という、
「仕組まれた物語」の始まりに……。
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