5-4 真夏の雪と必殺キス
立ち上がりかけていたアイスクイーンが、見えない手で突き飛ばされたかのように、玉座にペタンと尻もちをついた。
口はあんぐり、赤い瞳はぷるぷる震え、白い顔は真っ赤になっている。
「……あ、あ、あ、あ、あんたねえっ……! そ、そ、それがっ、フッた女に言うセリフかーーーー!」
「フッた女? なに言ってんだ? フラれたのは俺のほうだろ?」
「わ、私よ!」
「俺だっ」
「私だってば! このわからんちん!」
「なにいっ。だって、『理想を押し付けるな』とか『迷惑』とか『それじゃあね』とか言ってたじゃねえか! 【1-1鴻巣山展望台】にだって、ちゃんと……」
「……理想じゃなくて、『私自身』を見て欲しいってことじゃない! それに、『じゃあね』なんていつもの別れのあいさつなワケ! なのに、そっちこそ、それっきり連絡もよこさなくなって……」
「……………………」
「……私は……まだあんたのことを……」
「……………………」
ふと、それまで少女のようにたどたどしかったアイスクイーンの口元に、フッと大人びた皮肉な笑みが浮かんだ。
「…………そういうところだったわね」
思い出すように静かにささやく。
「あんたの一番いちばんムカつくところは、それ。
自分がフラれたことになれば、女が傷つかない……女のプライドは保たれる……そんな風に決めつける、『自分本位』なとこ」
「…………なに?」
「あんたはね、女を傷つける度胸がないだけ。加害者になる覚悟がないだけ。だから、いつもそうやって被害者ヅラして、自己満足に浸る」
話すアイスクイーンの身体に、周囲の冷気が収束していく。
「……そりゃ、あんたはいいでしょうよ。『またフラれちまったぜ』とか言って鴻巣山行って、星見て、『よし次』ってなもんで。けどね……」
ゴバアアアアアッ!
突然、アイスクイーンを中心に冷気の嵐が渦を巻いた! 長い髪が逆立つ!
「……あんたと別れて傷つかない女が居るかバカあああああ!」
「く、来るよ! ボス戦……!」
「くそっ。いきなりキレるところは相変わらずかっ」
とっさに氷漬けにされたナミの元に走った。
必殺パンチ!
ドゴォッと氷塊が砕け、ナミの戒めが解けた。
「ナミ! 大丈夫かっ?」
「う、うんっ……ありがと」
「……あんたはっ! たったいま私に『愛してる』と言った舌の根も乾かないうちに、そうやって、他の女に優しくして、そんなところだぞ、この尻軽お調子もの口先ええかっこしいのくされナンパオトコがあああああああ!」
「え? 愛してる? ンなこと言ってねえよ。おまえ、耳、壊れてんのかっ? 俺はただ、お前は俺の『大切な女』だって……」
「もうだまれっ! もう喋るな! もうコロスッ!」
「!? ……あ、悪意がどんどん膨れて……いく!」
アイスクイーンの足元から氷の塊が波のように盛り上がり、その姿を宙に持ち上げた。
風で浮かび上がったマユと同じだッ。完全に人間離れしてやがるっ!
「行くわよッ」
巨大な氷の蛇のような足場の上で、アイスクイーンが右手を振り上げた。
冷気が集い、やがてひと振りの剣になった。
「アイスクイーンのレベル1【アイスブレイダー】! 氷の剣を具現化する技みたいっ」
タブレットを見ながらナミが叫ぶ。
「またずいぶんと中二っぽいワザだなっ。隠れオタクのお前らしいぜ、ケイ!」
「……でも待って。なにこの攻撃力……これじゃ、マユと同等かそれ以上じゃないか……どうして? なんでこのひとが? それにまだ早すぎる……。こんなの教団のシナリオにはなかった……!」
「アイスカッター!」
叫びと共に、アイスクイーンの右手から氷の刃!
「ッッ!!」
猛スピードで飛来するその刃を身をひねってかわした。
「ハヤト! 一発も食らっちゃダメッ! 集中して! 全弾かわしてっ! あんなの、属性がどうとかそういうレベルじゃない……! 一撃で致命傷だよッ!」
「い、一発も?」
アイスクイーンの足元の氷が、ゴバアアアアと噴水のように吹き上がった。
それに乗って滑るように移動しながら、アイスクイーンが叫ぶ。
「これならどう!? アイスダガー! アイスレイピア! アイスサーベル!」
氷の剣……今度は三本!
とっさに『集中』……目の奥で光が爆ぜ、肉体と精神がリンクする!
次々に飛んでくる剣を、小刻みに移動して回避する!
「おのれチョロチョロとっ。避けるなー!」
「あいにく、お前の命令は聞かないことにしてるんでなっ!」
「そうよ。あんたはそういうヤツだったわよ!」
氷の蛇の頭上で両手を振り上げたアイスクイーンの瞳が紅蓮に燃える。
「アイスシミター! アイスククリ! アイスファルシオン! アイスグラディウス! アイスシャムシール! アイスエストック! アイスマインゴーシュ! アイスカトラス! アイスハチェット! アイスクレイモア! アイス青龍刀! アイスポン刀!」
デタラメに叫びながら、アイスクイーンは凄まじい数の氷剣を放ってくる!
「げっ! マジかっ!」
目の前すべてが無数の刃。こんな弾幕は、マユの【エルフィンダンス】のとき以来だっ。しかも、一発食らったら即死!?
パパンッ!
最後の集中が完成し、コンセントレイトモード発動!
研ぎ澄まされた意識で、飛来してくる刃を必死に見切る!
「まだまだ! アイスディフェンダー! アイスマサムネ! アイスドウダヌキ! アイスカブラ! アイスバルムンク! アイスラグナロク! アイスブレイカー! アイスシチシトウ! アイスカシナート! アイスムラマサ! アイスエターナル! アイスチキンナイフ! アイスレインボー!」
近くのものを手当たり次第にポンポン投げてくるように、アイスクイーンは両手をブンブン振り回す!
全力疾走しながら針の穴に糸を通すような集中で、俺はそのどこかで見たことがあるような剣の束をかわした。
確かに速い。威力もケタ違いだ。
けどその動きは単調で直線的。よく言えば素直。
不器用で一本気の、ケイの性格そのものだ!
飛来する巨大な剣山のような剣のカタマリを、引きつけ、一気にかわす。
ズガガガカガガガッッッ!
背後で削岩機のような音が派手に響いた。
「う、うそっ。ぜんぶよけたの!?」
「……へっ。ヌルゲーばっかやってるガキどもと一緒にするなよ! こっちは鬼畜難度の即死ゲーで鍛えられてんだ!」パンツ一丁で魔界に行ったりな!
「ムッキー! むっかつくわねえ!」
「どうした? 出し物はもう終わりか? ふだん高飛車なくせに、ちょっと可愛がると、すぐにグッタリ大人しくなるのは変わらねえな!」
「そんなことをいま言うなああああああ!!!」
アイスクイーンは髪を振り乱して子供みたいに両手を上下させる。
「もう! ハヤト! これ以上余計なこと言って挑発しないで! ただでさえヤバイ悪意が、ますます増大しちゃったじゃないのっ!」
ナミが俺の胸倉を掴んでギュウギュウ引っ張る。
「ぐぐぐ……わ、わりー……あいつ見てると、つい意地悪したくなっちまって」
「このサディスト! 女の敵!」
「……おのれっ。楽しそうに、イチャイチャイチャイチャとっ。息ぴったりってワケ? その子が、あんたの『理想の女』ってワケえええ!?」
びゅおおおおおおおお。
アイスクイーンが身にまとう吹雪は、紫を通り越し、今やドス黒くすらあった。
「れ、レベル2が来るよっ! 【アイスマジック】! 氷の彫像を生み出して戦わせる技……なん……だけど……」
アイスクイーンの前に雪の結晶が集まり、やがて氷の彫像になった。
クイーンを護るように立つ、その鎧マントの騎士の姿は……ケイと初めて会ったとき、俺が着ていたコスプレ。
ケイの『初恋の相手』だというアニメキャラ。
……けど、その顔は……俺……?
「な、な、なんでハヤトが、敵であるアイスクイーンの手下になってんの!」
「お、俺に言うな俺に!」
氷の騎士は、アイスクイーンから氷の長剣を受け取ると、猛然とダッシュして襲い掛かってきた。
よりによって、俺の顔をした騎士……それも、俺自身よりイケメンに盛りやがって……!
無性に腹が立った。
ブオンッ!
青白い騎士は、氷の彫像とは思えないほど素早くなめらかな動きで、剣を振るってくる。
紙一重でかわし……カウンターの必殺パンチ! さらにワンツーから……後ろ回し蹴り!
バガンッと音を立てて氷の騎士像は砕け散った。
「まだまだ! 私を守りたいって騎士はいくらでも居るのよ!」
アイスクイーンが叫ぶと、また床から青白い騎士の像が現れた。まさか、無尽蔵に出現するってのか!?
さらにぶっ壊す。だが予想通り、壊すたびに新しい像が生み出される。
「このままじゃジリ貧だっ。どうすればいい? ナミ!」
「ま、マユのときと同じ……だと思う……けど」
「なんだよっ。歯切れわりーな! いつものテンションはどうした!?」
「だ、だって……まさか……こんな展開になるなんて……予想外で……。あんなに強い悪意が……どうして? しかも、あのひとは……ケイさんの意識は……まだ完全には悪意にのまれていない……なんでそんなことが可能なの……? けど、こんな悪意、今の私たちがたとえ総力戦で挑んだって……かなうわけがない……」
ナミはすっかり取り乱し、絶望的な声になっている。ちょうどあのとき、アピロス屋上のマユ戦と同じように。
ダメだ。こうなりゃ、自分でなんとかするしかねえ!
マユのときと同じ……想いをぶつけるってやつか?
けど、俺にもわかるぜ……。いまのアイスクイーンの悪意は、あのときのマユより強いっ。
どうする……? どうすれば正気に戻せる!?
「……ホラホラ、いつもの俺様ぶりはどうしたの? いい加減、クイーンの前にひれ伏す気になった?」
手の甲を口に当て、ホホホとクイーンは高笑い。
「なにがクイーンだっ。ケイ! お前がなりたかったのは、女王なんかじゃねえだろ!?」
「……………………なによそれ」
「俺にはわかるんだよっ。ケイが本当になりたかったのは、もっと別のモンなんだ! だからお前はケイじゃねえ! ケイって女はな、悪意なんかに負けるほどヤワじゃないんだよ!」
「……………………」
「ケイ! 目を覚ませ! お前、まだそこに居るんだろっ!」
「……………………っるさいわねえ」
押し殺した声。周囲の気温が急激に下がる。アイスクイーンの赤い瞳の輝きが、さらに強く濃くなる。あたりには雪まで降りだした。
真夏の粉雪。
「……………………もういいわ。終わりにしましょ」
アイスクイーンが右腕を掲げた。片手で天井を支えるかのようなポーズ。
「……アイスカリバー」
氷の吐息をそっと吹きかけるような口調でクイーンは言った。
その右手に吹雪が収束し……やがて蒼く美しい長剣になる。
俺も重心を下ろし、静かに息を吐き、開いた両手を軽く上げる。
厳冬流『迎い受け』の型。
ゴウッッ!!
アイスクイーンの足元から、発射するロケットのように氷が噴出した。
それはさながら、頭上にクイーンを乗せた細長い氷の龍。
長い髪と豊かなドレスを波打たせながら。
小細工なしに、まっすぐ突っ込んでくる!
ケイの右手の氷の長剣が、俺の頭上に振り下ろされた。
限界まで集中しきった俺の目にも、それはほとんど見えなかった。
ヒュガッ!
剣が俺の頭をカチ割る寸前、俺の両手の平が氷の刃を挟み込んでいた。
「!!?」
アイスクイーンの瞳が驚愕で見開かれる。
その真紅の瞳の奥に、俺は、気高く心優しい女の面影を見た。ケイはやっぱりちゃんとそこに居た。そこで、俺が来るのを待っていた。
ほとんど無意識だった。
無意識に俺は、アイスクイーンの細い身体を抱きしめていた。
「なっ」
俺の腕に抱かれながら憤怒の表情で俺をにらみ何か言いかけたアイスクイーンの冷たく柔らかな唇を俺は自分の唇でふさいだ。
そして心の中で叫んだ。
――目を……覚ませケイ!!!
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