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ホフマン『砂男』の感想

 19世紀、1800年代に活躍した、ドイツロマン派の作家ホフマンの『砂男』を、光文社の古典新訳文庫で読みました。今回は、この作品の感想をお送りします。

 ここで描かれているのは狂気か幻想か。どこまでがナターナエルの狂気の産物であり、また実在した何かなのか、微妙にぼやかしてあります。

 幼少期に植え付けられた恐怖から、大人になっても逃れられなかった悲劇とも取れますが、一方で、やはり狂気に陥らせた原因は、不可思議な魔力によるものか、とも思えるのです。

 オリンピアとクララの対比は、男性が女性に求めるものの対比でもあるのでしょう。

 従順で完璧に動く自動人形と、生きた人間の女性です。

 生きた人間の女性であるクララは、恋人のナターナエルに意見します。それを内心で気に入らないと思い、従順に話を聞いてくれるオリンピアに心変わりしますが、実はオリンピアは人間そっくりに造られた人形でした。
 
 それが発覚してから、ナターナエルの狂気が始まります。

 心理描写が実に巧みで、ついつい引き込まれます。ナターナエルを突き放して描きつつ、その行く末が気になるようにもなっているのです。

 幻想的な要素と、実感のある心理描写・人間関係の描写が入り混じり、読者を幻想の世界に誘い込みます。

 結末は。

 ハッピーエンドであり、悲劇でもあり、でしょうか。私が考えるビターエンドとは、首尾よく終わる部分と、解決出来なかった問題が共に存在するラストです。

 こうしたラストは、幻想文学、ダークファンタジーなどでよく描かれてきました。定番と言ってもいいでしょう。これからも廃れることはない終わらせ方だと思います。

 ほろ苦い、ビターな終わり方だと思います。

 私は、こうしたラストが大好きです。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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