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復讐の女神 第1作目《ネフィアルの微笑》 第2話

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「ジュリア様は本当に素敵です。お美しくてお優しくて、それに聡明でいらっしゃって」

 最初に口を開いたそばかすの少女が、うっとりとした表情で言った。
 周りの三人はそれに賛意を表した。同時にそれは、他のジュリアン神官たちへの隠しきれない失望の表れでもある。アルトゥールには、それが分かっていた。
 彼らの近くに立つ大人たちが口を開いた。

「本当に残念だが、ジュリア様は決して神殿内で出世なさることはないだろう。あの方は貴族の生まれではあるが、夫ある女と妻のいる男の間に生まれ、赤子の時に孤児院に預けられた不義の子だから」

 それを聞いたそばかす少女はキッとなり、鋭い目を大人たちに向ける。次に出た言葉は、彼女自身にも意外なほどきつい調子になっていた。

「何故そんなことを言うの? 私はそんなこと信じない。あの方はね、ジュリアン神が私たちのために地上に使わしてくださった精霊の化身でいらっしゃるのだから!」

 大人たちは口をつぐんだ。誰も少女に言い返しはしない。その理由がアルトゥールには分かる。ジュリアを慕う気持ちは彼らも同じなのだ。少なくとも、大抵のジュリアン神官よりは、格段にマシな存在だとは思われているはずである。

 そんなアルトゥールを、ジュリアン神殿の前に集まった人々は訝(いぶか)しげに見ていた。このネフィアル神官の黒いローブに全身を包んだ姿は、ジェナーシア共和国ではとても目立つ。だいたいどこの都市や田舎でも、貴族か高位のジュリアン神官でなければ、ミールンの毛で織られた生成りか淡い灰色の長い衣に、黒い布製のベルトを締めていることが多いのだ。

 ジュリアン神に仕える神官たちは、純白に金糸か銀糸で刺しゅうを施した神官服を着ている。金糸の縫い取りが多い者ほど、より高位の神官である。ジュリアは銀糸で僅(わず)かに縁(ふち)取りを施(ほどこ)されただけの神官服を着ることしか許されていない。

 ジュリアン神殿の門が開かれた。門の傍(かたわ)らにジュリアが立っていた。赤みがかった褐色と濃い金色の入り混じった髪は、豊かに肩の下まで流れ、夏の盛りの青葉のような深い緑の瞳は優しく人々を見守っていた。
 アルトゥールは人々の様子をじっと眺(なが)めていた。ジュリアは、アルトゥールに気が付いた。

「あなたは、あの事件のことで、ここに来たのですね?」

 紫水晶の瞳の青年はそっと深く息を吐いて答える。

「そうだよ、聖女様」

「そんな呼び方はよしてください」

 アルトゥールは軽く笑みを浮かべた。その様子にはジュリアへの敬意が表れている。高潔なる騎士の好敵手に対する態度のような敬意が。

「今のジュリアン神殿には、他に誰も人々の心を汲み取れる者はいないじゃないか」

 ジュリアは、それに直接は応じない。代わりにこう尋ねた。

「あなたは自分のしていることが、本当に正しいと思っているのですか?」

「今、この神殿の壇上に立つあの男よりは」

 若いネフィアル神官は軽く笑う。嘲笑ではない。ただ本当におかしくてならなかった。ジュリアが、ではない。あの男、すなわちジュリアン神殿の神殿長が、である。

「今でも、ジュリアン神殿が、君のような慈愛の心に目覚めるはずだと考えているのか?」

 ジュリアはそれは答えず、黙ってため息をつく。

「ジュリア様?」

 先ほど話しているのを聞いた、あのそばかすの少女がそっと声を掛けた。

「そろそろ夕刻礼拝の時間ね」

 ジュリアは冬の日の陽だまりのような温かい笑みを浮かべた。その少女の肩にそっと手を載せて神殿の中に入って行く。アルトゥールはその背中に向かって言った。

「僕は自分のこの力や考えが、悪魔から来ているとは決して思わない。けれど、もしも僕が悪魔の子なら、悪魔として生きてゆくまでだ」

 ジュリアも付き添う少女も、驚いて振り返った。アルトゥールの方はそれきり何も言わず、彼女らに背を向けてその場を歩み去った。



 その後アルトゥールは、ジュリアン神殿から離れて横道に入ったところにある、こじんまりとした宿屋に泊まることにした。

 灰色の石造りの質素な宿。中は薄暗く、窓は小さい。魔術によるほのかな明かりが石壁と石の床を照らし出している。

 それらの重々しい石材は、長年の間に降り積もって残された、重苦しい感情の残滓(ざんし)を未だ拭(ぬぐ)い去ってはいないように見えた。抑圧された、感情と感覚の重みが。慈愛と赦しの名のもとに封じられた思想や行動の数々。

「あいつまだ来ていないのか」

 アルトゥールは独り言を言うと、三階建てのこの宿屋の二階に部屋を取ってから、再び一階に降りて入り口からすぐのところにある食堂の椅子に座る。三脚の椅子が周りに並べられた丸テーブルの一つだ。
 
 そのまま座っていると、黒っぽい服を着たメイドが来て、注文はありますか、と訊いてきた。公正の女神──それが、本来の名だ──の神官は、赤ワインに香辛料を入れて温めたものを頼んだ。さすがにここで神技を見せる気にはなれない。メイドはそのままカウンターの向こう側にある厨房に入っていった。

「旦那、お待ちになりましたか?」

 アルトゥールは訝(いぶか)しげに、その声の主を見た。だがすぐに友人のロージェだと気が付いた。変装していたために、すぐには分からなかったのだ。

「またジュリアン神殿に寄っていたのか。今度は何を懺悔(ざんげ)したんだ?」

 ロージェはそれには答えず、ただジュリアのことを話題にした。相変わらずおきれいでお優しかったですよ、と。

「それで、あの方は旦那のことを気にしていましたよ」

「聖女どのは、今のジュリアン神殿のありようを良しとしてはいないが、僕のやり方にも賛成できないというところだろう。それから、『旦那』はよせ」

 一応は言ってみたものの、『旦那』呼びをさして気にしているわけでもない。

「旦那も、先ほどジュリアさんにお会いになったんでしょう?」

 ロージェもかまわず旦那と呼び続ける。

「たまたまだ。広場の前に神殿があるのだから誰もが通る場所だ。依頼人のところやこの宿屋へ行くにも、広場を通るのが一番近いからな」

 ロージェは片手を上げてメイドを呼んだ。まだ若いメイドはカウンター席の片隅に座って足をぶらぶらさせて退屈そうにしていた。しかしロージェの合図に目を留めると、椅子から降りてこちらへやってきた。

「この方と同じものを」

 ロージェの注文を聞くと、メイドはうなずいてまたカウンターへ戻っていった。

「店の方はいいのか?」

 アルトゥールはロージェに、協力者に、尋ねた。今となっては、それなりの信頼がある協力者に。

「あの店はあっしと同じく訳(わけ)ありの仕事の者ばかりでね。割と融通は利くから大丈夫ですよ。今度はあっしが他の奴らを休ませてやらなくちゃならんでしょうが」

 訳ありの仕事というものがなんなのかアルトゥールは知っていた。社会の裏稼業だ。以前には、復讐をもたらす相手である、裕福な商人の家に忍び込むのを手伝ってもらったことがある。その時、少しばかり宝石を盗むのを、見て見ぬふりをしてやったものだった。ネフィアル神官と言えど、そんな時もある。ある程度は融通をきかせるべきなのだ。

 アルトゥールはロージェから、自分の裁きの対象となる者が収容されている隔離施設について聞いた。今ではよく知られた、ジュリアン神殿がらみの施設である。当然、ロージェは詳(くわ)しいことを知っているだろうと考えたのだ。聞いてみると、なんということはないと思えた。これなら簡単に入り込めるだろう、とも。

「あそこにジュリアさんが慰問(いもん)に行っているらしいですぜ」

「そうか。彼女はいつもそんな『汚れ仕事』ばかりさせられるようだ。貴族相手の典礼やこの共和国の偉人の命日の祭事を行うようにはならないのさ。それはそれとして、僕は彼女が邪魔をするなら容赦はしない」

 極めて静かな物言いであった。

 アルトゥールの意思は決まっていた。

続きはマガジンにて。

https://note.com/katagiriaki/m/m714d41e3adac

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