見出し画像

英雄の魔剣 15

 アンフェールとアレクロス王子たちが初めて出会ったのは、今から十年ほども昔である。アレクロス十五歳、セシリオが十四歳、サーベラ姫はまだ十二歳であった。
 ジョアキス辺境伯の領地での出来事である。コンラッド王国に限らず諸侯の力は強く、王家や第一公爵家と言えど好き放題には出来ない。とりわけ辺境伯は、深い森や謎めいた湖などに面した国境(くにざかい)を、魔物の侵略から守るために、大きな権限と武力を持った者がその位(くらい)を与えられる。コンラッド王国の現在の国王フィリッポスは、世継ぎの王子であるアレクロスと第一の臣下であるセシリオを辺境伯の許(もと)へ王宮からの使者として送ったのだった。

 その時すでに辺境伯は年老いていた。前王国の貴族の生き残りの子孫である彼には、魔物の血が入っている。恐れられる存在であるこの一族は、辺境にいてこそ力を発揮出来るのだ。もう少し人の多い地であるならば、人間たちと軋轢(あつれき)を起こすであろうから。それでもその力は必要とされ、ジョアキス・バーランの一族もまた、自分たちだけで生きていけるかと言えば困難である。よって、マリース王国が完全に滅びる前に、ベルトラン・コンラッドに降伏した者は、その子孫の多くがコンラッド王国で重要な役割を担(にな)わされていた。辺境伯ジョアキス・バーランもその一人である。

 ジョアキス辺境伯と共に魔物狩りをしていた折に、この男アンフェールが現れた。アンフェールは、奈落から召喚した魔性の炎を、自分と同じく奈落から来た魔物どもにも浴びせ、味方ごと辺境伯と王子たちを焼き殺そうとした。アレクロスにとっては忘れられない出来事である。辺境伯は王子たちをかばって死に、魔物どももあらかた焼かれて死んだ。その時アンフェールは、眉一つ動かさなかった。
 アレクロスたちは、それを忘れてはいない。

「ジョアキス辺境伯を知っているか」
 アレクロスは問うた。覚えているか、と問うべきであろうが、今は正体を明かせる時ではない。
「それがお前に何の関係がある」 
 尊大さのにじみ出る態度。
「私には恩のある方だ」
 それは事実である。
「そうだな、愚かな男だった。とだけ言っておこう」
 それを聞いて、アレクロスはふぅぅと息を吐き出した。出来るだけ、気持ちを落ち着けるつもりだった。
「そんなことを口にしていいと思っているのか」
 言っても詮無(せんな)きこととは思っている。敵は人の心を持たない。魔物なのだから。

「その辺境伯の仇を討つとでも言うのか」
「ああ、討ってやる。ここで会ったが百年目だ」
 抜剣したままの魔剣を手に、再び前方に跳んだ。《奈落の侯爵》の両手に突然、黒く巨大な大鎌が出現した。王子が持つ漆黒の魔剣と変わらぬ、深い闇の黒さである。それを軽く振って──本当に軽々と振っているように見えた──アレクロスの刃(やいば)を止めた。魔剣の切っ先は大鎌の刃(は)に当たり、アレクロスを阻(はば)む。
「させるものか」
 アンフェールは冷ややかに笑った。小憎らしい態度だが、様(さま)になっているとも思えた。たぶん、コンラッド貴族のどの貴公子よりも。そしておそらくは、大抵の女よりも美しい。白銀の髪、白磁の肌色、湖面の青の瞳。ここにいるサーベラ姫やマルシェリア姫よりも、とまでは言えないにしても。

 大鎌は扱いやすい武器とは言えない。どうしても大振りをすることになり、そのスキを突かれる。
 よほどの使い手でなければ。
 その、よほどの使い手が今ここにいた。
「大振りをしても、誰にも出来ぬほどに素早く振れればよいだけだ。誰にも出来ぬほどに素早く。私には、それが出来る」
 やや細身の体から繰り出される、速くしかも力強い動き。並みの戦士や騎士ならたちどころに己(おのれ)の首を地に転がす羽目になるだけであろう。幸い、例え魔性の甲冑と剣の力を借りずとも、アレクロスは並みの剣士ではなかった。
 猛攻を仕掛けてくるアンフェールの、風のように速い刃の振りを躱(かわ)す。
 アレクロスの右斜め後ろから、サーベラ姫が魔弓で矢を射かける。そこはアンフェールからは左斜め前に当たる位置である。アンフェールは、すっとサーベラ姫の方に向き直った。
「やめろ」
 アレクロスはアンフェールの右手側に周り込んで叫ぶ。サーベラ姫に向けて、大鎌から黒い疾風(しっぷう)が飛んだ。

 マルシェリア姫は両手から白い光の大盾(おおたて)を出した。白き大盾はサーベラ姫の前に浮かび、黒き疾風(しっぷう)を防いだ。
「王女殿下……」
 驚きのまなざしを向けてくるサーベラ姫に、マルシェリア姫は警告を発した。
「何をしているのです。今のうちです」
 それだけでサーベラ姫には王女の意図が分かった。若葉の生えた白樺(しらかば)の杖で、空中に複雑な文様を描く。青い光が湧き上がり、白き大盾を越えてアンフェールを包み込んだ。
 兄のセシリオは、主君に守りの魔術を掛ける。
 アンフェールは、初めて退き、それでも不敵な笑みを浮かべていた。

お気に召しましたら、サポートお願いいたします。