誰も教えてくれない成人向け漫画の描き方備忘録 #3 ~作品に詰め込む『癖』を本当に真面目に考える~

もう書くことなんて何もないと思ってたら、最近もやもやと考えることができてきたので文字に残しておきたくなりました。備忘録らしくていいねこういうの。

というわけで、この記事を書き始めたのはだいたい2023年の8月頃。去年から今年にかけて自分が描いてきたえっち漫画のまとめ本を製本してる真っ最中(この記事完成したのいつなんだ…?)。そういうタイミングなのでこの一年間描いた漫画を改めて見直したり新しく漫画を描き下ろしたり、ともあれ昔の作品と最近の作品を見比べる(元々そういうつもりではなくとも、何回も見てるうちにそういうことをしている)ようになった。
シンプルな感想としては、最近の作品は古いのに比べて漫画らしくなっているように見えるという感じ。単純に画力が上がってるのもあると思うし、漫画としてのページの見せ方も少しずつ慣れてきてる感じがする。ずぶの素人の独学なりに頑張ってる方だと思う。
まあそれはそれとして、最近自分で漫画を描きながら漠然と考えていたことでもあるし、改めて自分の漫画を見直したりしてより考えるようになったことがある。それは、

自分のえっち漫画って抜けるのか? ということ。

下世話な話ではあるけども、個人的にえっち漫画における非常に重要な要素だと思う。だって抜けないえっち漫画ってそれはえっち漫画なのか?
そもそもの話として、今自分がこうやって習慣的にえっち漫画を描くようになったのは、自分が見たいページを自分で描けるようになりたいというのが根本的な理由。ではあるものの、じゃあ最初から「抜ける」えっち漫画を描けるようになるために意識していたかと言われると、多分そこまで意識してなかったと思う。
厳密に表現すると、意識していなかったと言うよりも意識できるほど余裕がなかったような気がする。そもそも漫画を描くこと自体が実質ほぼゼロみたいなところからのスタートだったので、だからこそ既存の漫画作品を参考に漫画を描いていたわけだし。
そう考えると、ようやく自分もそういうことを考えることのできるフェーズに入ったのかもしれない。ちょっとずつ進歩しててよかった。

なんか話が逸れた気がする。

さて、ならば抜けるえっち漫画って何があればいいのか。これはホントに人によって色々あると思うので一概にこうですと表しづらいものではあると思うが、色々考えた結果個人的に特に重要なのは「えっち漫画に込められた『癖(へき)』があるかどうか」という結論に至った。
正直これで100%言語化できてる気はしない。ただこういうのはおそらく成年向け/全年齢向けだからどうこうとかいう話ではなくて、創作における共通意識であるところの「創作物を通して何を表現したいか」みたいなものの一部なんだと思う。
えっち漫画を描いててただ裸体やセックスシーンを描くだけならそれは漫画である必要がない(と個人的には思っている、他の人はどう思っているか知らない)し、漫画であるからにはただのえっちイラストではない何かを入れてこそ(と個人的には以下略)だと思う。
その何かを一概に表現しようと思うと、「癖」という表現が今のところ思いつく中で一番理想的な表現かなあと思った次第。漠然としてるのは当然で、その「癖」にあたるのはシチュエーションであったりキャラ造形であったりストーリー構成であったりとホント多岐に及ぶので表現が難しい。逆にこの漢字一文字でこの辺りを大体表現できてるので凄い優秀な言葉。
そういえば、自分がよく見ている料理エンタメ系YouTuberの動画で「全国で出回っている大手外食産業の人気商品には、どこか引き付けられる『癖(くせ)』がある」みたいな話をしていたのを思い出した。性欲と食欲は人間の三大欲求として並ぶものだし、やっぱりそういうことなんだろう。知らんけど。

というわけで、自分で描くえっち漫画にもその「癖」とやらを入れてやるのがよいということはわかったが、じゃあ自分がえっち漫画に入れたい「癖」ってなんなんだろうと考え始めた時、これがマジでわからん。本当にわからんかった。冒頭でこの記事を書き始めた時期を明示しているが、そこから記事の完成まで半年以上経過しているところから色々と察してほしい。
「癖」というものの表現自体が非常に漠然としていて、本当に漠然と「なんかこういう感じのが好きだなあ~」みたいなものはあったが、それを言語化して明確に自分の創作物に入れ込もうとしたら手が止まったし頭の思考も止まった。文字通りのお手上げ状態。
よく性癖に刺さるなんて軽率に言ったりすることもあるものの、実際に腰を据えて自分の性癖と向き合おうと思ったらそもそも向き合う相手があまりに抽象的すぎて向き合いようがないというオチだった。今まで刺さってたのは何だったんだよ、霞でも刺さってたのか?
とはいえこの刺さってる霞をなんとか流動食程度までにははっきりさせたい。そのために隙あらば自分の癖と向き合うようになった。例えばTwitterで好きなイラストを見かけた時、ただ「好きだなあ」だけで消化するのではなく「なんで好きなんだろうなあ」と考えるようになったり。とにかく自分の癖に対して脳のリソースを割く割合を増やしていく習慣をつけるようになった。
それを踏まえた上で、定期的に描いているえっち漫画にその要素を詰め込むためにどうすればいいのか試行錯誤する時間が自然と爆増した。最近は実際に漫画描いてる時間よりこっちの時間の方が本当に多い。えっち漫画なんて読む時はシンプルに頭空っぽがちなのにいざ描こうと思うと死ぬほど頭使わないといいのが描けない。需要と供給どうなっとんねんと思ったりしたけどこういう話はえっち漫画に限った話でもない気がする。
スケベなことになーにをそんな大仰にと思われるかもしれないが、こっちからすればそんなもん知ったこっちゃないしマジもマジの大真面目に考えてるし今でも毎日うんうん唸りながらちょっとでもいいものができないかと悩み続けている。改めて世の成人向け作家諸氏への敬意が止まらない。いやもうホント凄い。語彙力が少なすぎて申し訳ないけどホント凄いよ。


で、結局自分の「癖」は見つかったんかというと一応それなりには、という感じ。ここで性癖発表会をするつもりは特にないのでそれが何なのかは是非とも自分の作品を見ていただいて何となく察していただきたいです。
(当たり前だけど成人向けなのでご承知おきください)

それにまだ試行錯誤してる真っ最中という感じなのが正直なところなので、やり方間違ってるんかもしれんけど少しずつでも前進してる実感はあるし今はこれを信じて行けるところまで行ってみたい。試行錯誤ってそういうもんだしね。
いずれにせよ改めて自分の描いてるえっち漫画を見直すと、試行錯誤し始めた頃からの作品の方がえっち漫画としての厚みは増した気がする。もうかれこれ二年以上描いてるんだしそりゃ多少は進歩してもらってないと困るというのもある。
しかし二年以上描き続けててもまだ楽しい。全然終わりが見えないのでたまに絶望することもあるけどそれはそれでまだまだ楽しめるということでもあるからポジティブに捉えていきたい。

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