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発達グレー判明と、失職からの再始動

ちぇしゃです。僕は、俗に言う「発達グレー」というヤツです。グレーゾーンの存在自体にまだまだ賛否がありますが、ここでは、何かしらの非定型な発達特性を抱えていながら「発達障害」の診断基準に届いていない人のことを指して「発達グレー」と言わせてもらっています。

かつて、某地方に住んでいた頃、再就職するにあたって、気になっていた発達障害疑惑を、まずはハローワークの担当者へぶつけてみました。

その結果、ハローワーク内で障がい者担当の方が僕の専任担当になり、一般の求職者はやらない各種検査をする事になったり、サポステ中心の支援に移行したり、障害者職業センター(※センター名がこの表記です)や精神保健福祉センターに繋がったり、途中からは、診断がないままだけど配慮を求めての就活に移行したり、多方面からの支援を受ける事になりました。

お仕事については、その時の支援が直接実を結ぶ事はなく、転職エージェント経由で、某大都市圏の外資系のお仕事に決まりました。こちらは特に配慮を求めることもなく、ふつうの一般枠です。ただ、おかげでモヤモヤが晴れたというか、やっぱりそうだったんだというか、ある種の安心感は出ましたね。

それでは、詳しく掘り下げていきたいと思います。

・某地方への移住と、失職

まず、再就職活動にいたる経緯からお話しようと思います。当時、家庭の事情で某地方に移っていた実家(※実家の家族の移住先です)に戻り、そちらで仕事をしていました。当時はその地方に全く馴染めず、また家庭環境も悪く、さらに新しい職場と、今から考えれば四六時中ストレスにさらされ続けている状態でした。

移住前にやっていた仕事と似たような仕事を探して働いていましたが、職場環境や仕事の違いが合わなかったんだか、はたまたプライベートのストレスが影響したのか、小さな鬱の兆候に気づいて、わずか数か月で辞職します。

そこから、しばらくの間は、ときどきハロワに通っては失業手当の支給要件にあたる活動回数だけ満たして、あとは適当に遊んで、という感じでゆるく過ごしていました。求人を見に行く以外のときは、あちこちイベントを探して顔を出してみたり、少し足をのばして遊びに行ったり。

ところが、やはり地方なので、イベントの類が少なく、あったとしても内輪でよそ者は入りにくく、出身の大都市圏や、移住前に住んでいた中堅都市とは何もかもが違う、やりたいことが何もできない、まるで趣味や関心ごとがすべて奪われたような、そんな日々でした。

新たな趣味を開拓しようとしたものの制限がありすぎ、だんだんと、実家のある地方から逃げるように、遠出を繰り返すようになっていきました。

・再就職活動、そして障がい者担当へ

しばらく体力任せにあちこち行きながらやり過ごして、少しずつ就活も進めていたのですが、どうにもハロワ担当者の人のいうことがわからなく、また気になっていた点もあり、そのことを伝えてみました。

一度や二度ではスルーされて適当な案件を紹介されるだけだったんですが、しつこく言ってるうちに、障がい者担当へ引き継がれることになりました。

そこで、まずはヒアリングと興味検査から始まり、何をやったか細かくは覚えていませんが、応募にいく前の段階でいろいろとやりました。

その後、サポステにつないでくれたり、障害者職業センターに紹介されたり、精神保健福祉センターを紹介されたりして、各機関のはしご生活が始まりました。

・はしご生活ハロワ編

当時僕は、できればITから離れたいと思っていました。また、途中から家庭の事情に変化が出て、家族には内緒のまま、某地方を離れる方向でこっそり動いていました。ハローワークでの活動は、各種検査をふまえた「やりたいこと」フォーカスを第一段階とし、それが出たところで、職種を大きく変えキャリアチェンジする方向で進もうとしたら、まさかの「現実はきびしい」発言。

そうなったのには少しわけがあり、障がい者担当さんは僕のことを知能が低いのだろうと想定して対応していたようでした。が、こちらはそんなことなく、ボタンを掛け違えたままで進んでいたのでした。

あたかも未来は明るいかのような発言で、てっきり、一定の事情があればそこらへんは何とかなるのかと思っていたら、まったくそんなことなく。。。結果、キャリアチェンジは断念して、もともとのIT職へと戻ります。

他機関との連携結果や、ショッキングな出来事、担当者さんの対応可能範囲などが重なり、上席担当者へ引き継がれることになりました。

・はしご生活サポステ&その他編

ハローワークだけで自称発達疑惑の対応が手に負えるわけもなく、まずはサポステを紹介され、サポステ中心、ハローワークは失業認定に必要な回数だけ、という形で進めていきました。

サポステでは自分のおかれている状況、特性的なところ、などなど、雑多にいろいろ話し合い相談し、進捗報告も積極的にしました。

サポステと並行して、またサポステからの紹介もあり、障害者職業センターで職業適性をみる検査をやってみたり、精神保健福祉センターを紹介されそちらで発達疑惑に関して突っ込んだ話をしたり、ということも行いました。

・アクシデント発生

そして、活動が進んでいくにつれ、アクシデントが連発します。

まずは障害者職業センターで。検査していただいた担当の男性職員に、なぜか猛烈な拒絶反応が出ました。今となってはあまりおぼえていませんが、言動に強い拒否感を持ったのだけはおぼえています。ハローワーク経由でクレームを入れ、検査が終わった後は一切関わっていません。

そのしばらく後、ハローワークの上席担当の男性にも拒絶反応が出ます。こちらは、怖いという感じです。基本的に優しい方ではあるのですが、なぜか僕は強い圧を感じてまい、怖くなって拒絶しました。この時は女性の上席さんに担当を変えていただきました。

この時の猛烈な拒否感、あるいは怖い感覚、どういう相手にどういうときに発動するのかいまだに分かっていませんが、これまで発動した相手は、一人の例外もなく全員男性です。男性恐怖症的なものかな?と思いつつ、よくわからないままやり過ごしてます。

・サポートを受けた結果が出揃う

そして、各サポートの結果も出揃います。

まずは障害者職業センター。それらしい特性が明らかに見受けられる、配慮を要する。が、知能やスキルが十分高いので発達障害の診断を得ることは難しかろう、との判断でした(昔の診断基準には、発達障害の要件に「IQが一定以下」というのがあったようで、その地方はまだ旧基準で動いていたようです)。

次に、精神保健福祉センターの見解。それらしい特徴がはっきり出ていて、意見を出そうと思えば出せるが、センターでは県内に就職する場合だけしか対応できない、県外就職の場合は一切関与できない、とのことでした。この時、精神科医の資格がある所長さんは診断を出せるかのような口ぶりでしたが、直接担当者さんはおおよそ診断は出ないだろう、グレーだろう、というニュアンスの物言いでした。

そして、結果を持って帰ったハローワークの見解。ハローワークとしてもそれらしい特性が明らかにあると認識している。しかし、発達障害の診断には欠かせない「困り感」が全くないこと、そしてスキルが高いこと、の2点を挙げ、おおよそ診断は降りないだろう、障害者枠は無理だろう、という残念な結果になりました。

それでも、配慮が必要な点を申し伝えた上での活動は可能、とのことで、しばらくそれで就活することになりました。

その結果を全て持ち寄ったサポステの話で、やはり発達グレーで間違いなかろう、という話になりました。

・就活のゆくえ

「障害者ではないが配慮を求める」という点、やはりハローワークはあたかもそういう事が可能かのような話しかしませんでした。実際それで応募もしました。が、やはりそんな人を相手してくれる物好きの企業はまあ稀で。。。

ハロワ経由の書類選考で落ちまくる中、面接話が舞い込んできました。行き先は首都圏某所。面接ももちろん首都圏に行って。

時を同じくして、全く別口で、LinkedIn経由で転職エージェントとも繋がりを持ち始めていました。

ハロワから応募していた先の面接が決まったのと、エージェント会社の登録面接の予定が組まれたのとが重なり、9泊10日の首都圏滞在を敢行することになりました。滞在先で英文履歴書を急遽用意するなど、大変さもありましたが、連泊で好きなように時間を過ごせて、だいぶスッキリしました。

その時にお仕事が決まることはありませんでしたが、その時面接したエージェントの、別の担当者さんを通じて、のちに外資企業のお仕事が決まりました。その際、実家近辺でビデオ面接できる環境が全く無く、最寄りの政令指定都市に連泊してビジネスホテルでビデオ面接するという、これまたおおごとになりまして。。。

このエージェント経由の就活では、特に配慮を求める事もなく、完全なる一般枠で応募していました。

・その結果

首都圏にいた時につながったエージェント経由で仕事が決まった僕。結果的に、また大都市圏で暮らす日々へと舞い戻ることができ、徹底的に合わない地方から逃れることができ、興味あるイベントに、時間と予算の範囲内で色々行けるようになりました。

また、あらためて過去を振り返ったのに加え、外資企業に勤めたおかげもあり、合う環境合わない環境、もなんとなく見えてきました。

各支援機関でうけたサポートが直接的に形になることは、最後の最後までありませんでしたが、発達グレーの事実上の公認を得られたような格好で、ある意味安心することができ、またグレーなりの生き方を意識して生活するようになりました。

・そしてその後

外資企業に入ってから、非常に忙しい日々を送っていて、もう一度IT畑で仕事しながら、オフタイムでやりたいことをやっていくんだ、もう一度夢を追いかける準備するんだ、と思ったら、コロナの影響が襲いかかってきました。

残念ながら、その外資企業は大規模な人員整理をしなければならない状況に陥り、僕ももれなく契約終了となりました。

能力に凸凹があるせいかコロナの影響か、なかなか仕事が決まりにくく、比較的長いブランクを経て、今は別の外資系企業に所属して食い繋いでいます。

・おわりに

お読みいただきありがとうございます😊 僕の経験が何かのお役に立てれば光栄です。

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