1月が終わったらしい
1月が終わったらしい。2月になったらしい。世間はお正月ムードもなくなり「あけましておめでとうございます。」なんて聞こえなくなった。スーパーには恵方巻がならび、百貨店はバレンタインに染まっている。
2020年が始まって1カ月がたったらしい。時間が経つのが早い、怖い。
と、毎年のように思っている気がする、そんな2月1日。
1月は楽しいとしんどいが交互にやってきて、自分の気持ちと表にだす感情をコントロールするのに精いっぱいだった。というよりもコントロールできてなかった、たぶん。
お正月、福岡に帰った、飲んだ、遊んだ、久々家族とも一緒にいた。暗闇を走っていたところから、急に輝いたトンネルの中を歩いているような日々だった。笑って、笑って、話して、飲んで、あぁ心地がいいなぁと思いながら、でも周りの前に進むスピードの速さに取り残されている焦りも心の端で生まれ大きくなった。私は大阪で何をしてたんだろう、そんな思いも抱いてしまった。みんなの輝いた話の中、私の話は何も輝いてないどころか色さえなかった。
だけど
そんな話を聞いてくれて、「しんどくなったら福岡に戻ってきな」と言ってくれて、あぁやっぱり心地いいなぁと思う私は、この人達が本当に好きなんだろう。23歳、もう人に甘えてはいけない年かもしれないがもう少しこの居心地のいい所で甘えたいと心から思った。
家族との時間も作った。初任給とかで何もできていなかった母や弟に、靴を買ってともすけでごはんをご馳走した。ほんの少しだけど恩返しができたかもしれない。
マレーシアにも行ったなぁ現実逃避。
海外は楽しい、あそこには私のバックグラウンドを知ってる人はいない。みんな私を私として見てくれる。
バックパックをからって1人で知らない土地に向かう。みんなにすごいね!とか寂しくないの?とか色々言われるがすごくはない。少し寂しいかもしれない笑
だけど、1人で行くと現地の人と交流することができる。おすすめの店を聞いたり行くべきところを聞いたりお得な情報を教えてもらったり。多分、それが楽しくていくんだと思う。
マレーシアは不思議な国だった。多民族国家。
道路を1つ渡るとそこには異国が広がってるようだった。街の匂いも話す言葉も肌の色も売られているものも何もかも違う。1つの街で異文化交流をしているかのようだ。
私は、写真を撮る。彼らの日常が撮りたくてカメラをかまえる。
輝いたものはもちろん私にも輝いて見えるけど、他の人にとってなんともないものや景色が、私にだけ輝いて見えた時、そこに宝物を感じたような気持ちになる。楽しい。
多分、そんな宝物を独り占めしたくて写真を撮ってるのかもしれない。
今度は人を撮りに海外へ出向こうかな。
楽しい、楽しいと言っていた時間が終わった。終わったんだ。
また暗闇を走る毎日に戻るけど、この楽しい時間が足元を照らして、前に進む道標になってくれるんだろう。
踏ん張ろう、2月。
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