「天安門スタイル」

自分の生い立ちで重要な言葉である造語「天安門スタイル」を、チャットGPTに書いてもらいました。

「天安門スタイル」:家庭内における恐怖支配とその影響

家庭内での支配体制を振り返ると、まるで「天安門スタイル」とでも呼ぶべき強権的な構造が存在しているように感じる。批判や反抗は一切許されず、親に逆らおうとすれば、暴力、暴言、物の破壊、最悪の場合は精神科病院への入院が待っている。この家庭内の統治方法は、まるで天安門事件のように、少しでも異を唱える声があれば、それを力で押さえつけられるというものだ。

そして、この支配体制の中で生きていると、時折、まるで1984年のディストピアの中にいるように感じる。現実では2024年だが、家庭内での抑圧や支配は、まさに1984年のような全体主義的な管理社会に近いものがある。自分はまるで2024年に生きながら、同時に1984年の世界にも生きていると感じることがあり、二重思考を強いられているようだ。

その二重思考の一つは、**「親はただ歳や収入(父は東証上場企業の正社員)や学歴(親は有名大学卒だが私は高卒)で威張っている存在だ」と思う一方で、「親はキリストやブッダのような偉大なる存在だ」**と無意識に思ってしまうことだ。こうして、家庭内の支配が強まるほど、心の中で親に対する相反する感情を抱き続け、常に葛藤している。

1. 進学先への干渉と操作

自分の進学や将来に関わる決定についても、親は常に強く干渉し、操作してきた。たとえば、高校の進学先を決める際には、直接「ここへ行け」とは言わなかったものの、「ヤンキーみたいに髪を染めた人が多いから卒業できそうにない」や「あそこは遠すぎるから無理」などといって、自分が望む進学先をあらかじめ不可能だと決めつけ、選択肢を狭められていた。これにより、自分で進路を決める権利は実質的に奪われていた。

そして、大学進学についても同じだった。私は放送大学に進学しようと思ったが、「有名な大学じゃないと就職に影響しないし、誰でも入れるような大学では意味がないから、高卒のままで良い」などと父に言われ、最終的には大学進学そのものを諦めざるを得なかった。ここでも、自分の将来を決定する自由は奪われ、親の考えによって進路が決定されていった。

2. サッカーチームでの苦しい経験

サッカーに関しても、自分の意思とは裏腹に親にコントロールされていた。小学生の頃、ウイニングイレブンにハマってサッカーをしたいと思い、親に頼んで障害者向けサッカーチーム(自分は発達障害持ち)に試しに入れてもらった。しかし、サッカー好きの父がそのチームにハマってしまい、結果的に自分はきつい練習や試合を続けることに。しかも、チームのメンバーは皆自分より年上で、環境は非常に厳しかった。それにもかかわらず、親は辞めさせてくれず、小学生高学年から高校を中退するまでそのチームに無理やり所属させられ続けた。

サッカーの試合が疲れていてやりたくないと訴えると、父は「高校なんて行かなくて良い」と怒鳴り、学校よりもサッカーを優先するよう強制してきた。自分はサッカーよりも勉強を優先したいと思い、その結果、親と対立してしまった。こうした親との価値観の対立も、精神的なストレスをさらに悪化させる要因となっていた。

3. 絵に関する抑圧と干渉

自分が絵を描くことに興味を持ったのは小学生の頃からだった。漫画を描くことが好きになり、様々なアイデアをノートや紙に描き始めた。しかし、その道は平坦ではなかった。障害物や規制に満ちたもので、常に親の目が光っていた。

ある日、理由はよく覚えていないが、裸の女性の絵を描いてそれを自分の部屋にしまっておいた。しかし、ある日母が私の部屋をあさり、その絵を見つけて「これは何!?」と強い口調で問いただされた。突然の怒りにとても怖くなり、追い込まれた。「昔のことだからよく覚えていない」と答えたら、なんとか納得してくれた。

その後も、自分が描く絵には常に親の目があり、特に武器や兵器を描くことに対しては厳しい制約があった。高校生の頃、私はガンダムやメタルギア、マクロス、ドラえもんなどのSF作品が好きで、架空の戦艦や戦闘機、武器を描き、遠方に住む母方の祖母に手紙と一緒に送ったことがある。すると、母方の祖母から**「平和主義だからそんなものを描くな」**と叱られ、母もその意見に同意したため、しばらくの間、兵器や武器を描くことができなくなった。

高校中退後、何度か初音ミクの絵を描いて母に見せたことがあるが、返ってきた言葉は「もういいよ」という冷たいものだった。さらに、違うキャラクターを描いた時には「目の大きい女の子描くの好きだね」と嫌味のような言葉を言われ、女性を描くこと自体が怖くなり、数年間、ほとんど女性を描けなくなってしまった。しかし一方で、母が見ていたテレビでは、ガールフレンド(仮)やアイドルマスターのような女性キャラクターが中心のCMが流れており、「なぜテレビでは許されて、自分は許されないのか」といつも疑問に感じていた。

絵画教室にも何年か通ったが、母が強く勧めたのはデッサンだった。アニメ風の絵を描いても、教室では先生に何も言われなかったが、家に帰って母に見せると、「なんで教室でそんなものを描くのか」と言われ、自分はやがて実物しか描けなくなり、想像やイメージでものを描くことができなくなってしまった。さらに、家でデッサンをしようと思い、イーゼルを買おうとしたが、母に「邪魔になるからいらない」と言われ、買えなかった。

数年前に分かったことだが、母はまともに絵を描いたことがなく、さらに、クロッキーという言葉を聞いた時、「クロッキーは筆の名前だ」と勘違いしていた。こうしたことから、母の絵に関する知識や理解が独創的すぎるか、もしくは美術に対して全く詳しくなかったのだと感じた。

4. 精神科の無力さと親の影響

精神科に通うことになったのも、親の指示や管理が強く影響していた。病院での診察の際、基本的に親が同席しており、自分の言いたいことはほとんど話せなかった。診察の短い時間も、母が一方的に話し、自分の心情や出来事に対する意見や感想を伝える時間が実質的に奪われていた。自分が訴えることはあまり信じてもらえず、母の意見がそのまま診察の基準となってしまうことが多かった。

さらに、親に言いなりで、自分の意思が尊重されることはほとんどなかった。精神科に入院させられた際も、親に逆らうことが危険だという現実を再確認することとなった。入院中は、ただ薬を処方されるだけで、どうやって親の機嫌を取るか、あるいは親に喜ばれる人間になる方法などを教えてもらえることはなかった。精神科の治療は、根本的な解決策を見つけるものではなく、単に症状を一時的に和らげるだけだった。

5. 現在の作業所と自由の喪失

2023年に入って、自分はこの家庭環境を変えようと考え、就労継続支援B型の事業所(作業所)に通うことを決意した。しかし、作業所に通い始めたことで、親がいない自由な昼間の時間を奪われることになってしまった。作業所での生活は単純労働が中心で、得られるのはわずかな工賃と、日々のストレスだった。毎日、作業所に通う中で、「作業所に行きたいと言ってしまった自分を責める」日々が続いている。

かつては、作業所に通わず、家で自由な昼間の時間を過ごすことができた。親がいない時に、絵を描いたり、本を読んだり、ゲームをしたり、配信サービスで映画やアニメを楽しんだり、創作活動や知識を増やす時間があった。その時間は自分にとって、創造力や知識を養う貴重なものだった。しかし、今はその自由な日々に戻ることはできないのだろうかと強く感じている。

6. 提案や意見を無視し、すぐに批判される日常

家庭内では、提案や意見を述べることさえ難しい。何かを提案しようとすると、親はすぐに遮って批判や否定を繰り返す。自分の意見が尊重されることはなく、すべてを親の視点で一方的に判断される。反論を試みれば、さらなる批判や抑圧が待っているため、結局、意見を言うこと自体が無意味に感じるようになってしまう。

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