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総裁選が始まっているけど、候補者自身は「行政ができない」ことをどれくらいわかっているかという話

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0.「行政ができないこと」ってどういうこと?

 総裁選も終盤を迎え、野党も政策を発表しており、これから衆議院選挙で政策論争が行われるでしょう。

 選挙では、候補者が自分の理念やどういう国にしたいかを話し、政策を発表していきます。
 じゃあ、私たちは、どのようにこの政策論争をみればいいのでしょうか?
 
 一つの視点は、行政はどこまでできるのか、できないのかはポイントだと思います。
 要は、政策の中に「できないこと」が並んでいると、大丈夫かなと思います。

 簡単に日本が抱えている状況も簡単に解説しつつ、行政ができないこと、その限界を乗り越える方法を整理してみました。

 なお、専門的・技術的な正確性よりも分かりやすさを重視したところがありますので、ご了承ください。

1.行政組織の限界(地方自治との関係)

 国会での質問や政治家からの問い合わせ、各種陳情、あるいはドラマで誤解されているように感じるのが、国は地方自治体にあれこれ命令する権限はありません。国と地方自治体は対等な関係です

 平成の間は、地方分権ということで、ほとんどが国から地方へと権限が委譲されてきました。
 一方で、地方自治の権限が広がる中で、熱心に取り組む自治体・そうでない自治体が出てきます。また、人口が減少していく中で、十分なマンパワーを確保できない自治体もあります。
 また、コロナ禍では、医療体制の確保、感染予防対策、ワクチン接種の速度など的確に対応する自治体がある一方で、自治体の対応を放置していてはいけない場面もあったと感じます。

 かつては、「国=現場を知らない(もっと単純に言えば、「悪」・「強者」)」、「地方=現場で的確な判断ができる(もっと単純に言えば、「正義」・「弱者」)」という単純な構図でとらえられがちでした。おそらく、この構図では、令和の時代では、対応できない状況が頻出してきます。

 おそらく、令和の時代は、「意欲のある自治体をより活発にする」、「パワーが足りない自治体を支える」、「国民のニーズを確保する最低限の取り組みは自治体にやってもらう」という発想が必要だと思います。

 

2.財政の壁

 日本政府の借金(国債残高)は、1,000兆円近くになっています。そして、毎年、借金を増やしています。
 いわば、借金で借金を返す自転車操業よりも悪い状況です。毎年、毎年借金を増やしている状態ですので、新しい借金をしなくてもすむようにしようというのが「プライマリーバランスの黒字化目標」です。
 このため、予算要求のルール(「概算要求基準」とか「シーリング」といいます。)として、社会保障(年金や医療・介護など)を除いた予算については、前年度から10%以上削った上で、成長につながる予算については、削減額の三倍まで要求できるというルールがあります。

 要は、税収が大きく増えなければ、何かを削らなければ、新しい政策に大きな予算を付けられません。むしろ、社会保障についていえば、毎年、抑制が必要になっています。
 負担が増えるのは嫌ですが、安倍内閣で幼保無償化を実現したのは、消費税増税をして財源を確保することで財政の壁を乗り越えました
 高度経済成長期では、高齢者が多くなく、社会保障費への支出が大きくない中で、毎年経済成長により税収が伸びていたので、このような問題が生じませんでした。


 「財源は国債だ」という人もいますが、これは、借金をするということです。さらにいえば、今よりも返す人が少なくなった将来に請求書を回すということです。成長による税収増が確約できるのであれば、財政の拡大もありうる道でしょうが、最悪なのは、十分な成長が実現できず、税収も増えずに借金だけ増えることです。
 このため、麻生財務大臣は、「プライマリーバランスの黒字化目標」の凍結=借金を増やしていくことについて、「日本を放漫財政の実験場にするつもりはない」といっています。


3.民主主義の要因

 ここでの「民主主義」は、何らかの価値観があるものではなく、総理や与党は、選挙で選ばれるという手続きです。
 選挙を経ますので、政策は、利害関係者の合意を丁寧に得ていく必要があります。逆に言えば、利害関係者の理解が得られなければ、実現が困難であったり、利害関係者との調整の過程で当初想定していたような大改革ができないことがあります
 利害関係に大きな影響をもたらす改革や規制緩和がしばしば「骨抜きにされた」と言われるのは、このためです。

 これは、民主主義の要因ですので、国民からの強い支持があれば乗り越えられます。小泉内閣での郵政民営化や道路特定財源の一般財源化(道路整備だけに使うお金をほかにも使えるようにしたもの)は、この一例でしょう。


4.社会情勢・政治情勢からの政策の優先順位

 政策の優先順位は、社会情勢や政治情勢によって大きく変わります。
 例えば、コロナ禍が国民生活の脅威である中で、コロナ対策に力を抜いて、別の政策を第一に行うということはできません

 色々評価は分かれるかもしれませんが、コロナ禍にあって、デジタル化や脱炭素社会、不妊治療への支援拡大や男性の育休取得を進めた菅内閣は、コロナ禍という社会情勢の制約の中で、苦慮しながらも政策を進めた例といえます。
 この「社会情勢からの政策の優先順位」をどう考えるかは、政党・政治家によって異なります。また、社会的な立場によっても異なります。国民のニーズをどう捉えているか、社会をどう見えているかは、まさに「国民の代表」としての力量が問われる点だろうと思います。

 総裁選を前にした党の幹部人事や内閣改造などは、政治情勢の壁に阻まれたといえるでしょう。また、選挙を前にすると国民に負担を求める政策は議論も実行も難しくなります。


5.自由意志との関係

 日本は独裁国家ではないので、社会的に問題がない限り、国民の行動一つ一つに行政が口出しすることはあってはなりません。
 
 政策分野で広報や啓発活動の重要性を叫ぶ声がありますが、政府の広報・広告をそこまで熱心に見た記憶は私自身ありません。
 同じように、脱炭素社会などの環境、子育て(いじめ、虐待)、AI、英語などあらゆる分野での教育の重要性を叫ぶ声があります。これも、自分の経験では、そこまで教育で自分自身の行動が大きく変わったことはありません。
 国家的な洗脳もあってはならないので、国民の自由意志の尊重と社会的に良い行動への誘導は、緊張がはしる場面もあります。

 コロナ禍をきっかけに、「都市封鎖」・「ロックダウン」の必要性が叫ばれていますが、これは、自由な外出を禁止する制度です。実効性を確保するために、刑罰を設けたら、警察官が街で見回りをし、歩いている人に声をかけ、違反者がいればその場で逮捕するという形になります。
 それがいいのかどうか。よりソフトな感染予防対策があり得ないのかは、かなり十分な議論の余地があると思います。

 最近は、行動経済学など自由意志を尊重しつつ、行動をどう誘導していくかについて、学問分野での知見が高まっています。これを、政策にどう取り入れていくかがカギになると思います。環境省では先駆的な動きもあります。


6.行政官の人間の能力の制約

 当たり前ですが、行政に携わる人は、人間です。そして、それぞれの私生活もあります。また、物理法則も超越できません。
 十分な時間や体制、情報、人材がなければ、ちゃんとした政策は出てきません。ミスもします。また、魅力的な仕事でなければ、ちゃんとした人材は来ません。

 ここら辺は、他の官僚ツイッターやブログ、退職者が盛んに発信しているので、深入りしません。 

7.海外要因・国際動向

 日本は、圧倒的に海外の報道が少ないのですが、海外要因は大きく日本に影響を与えます。特に安全保障にかかわる状況は、国家・国民の安全に直結します。また、リーマンショックのように、国際経済は日本に大きな影響を与えます。

 他国の主権にかかわる案件は、外交交渉が必要であり、交渉相手との信頼関係や利害の一致がなければ、実現できません。

 アジアをみただけでも、アメリカは、ペンス演説で対中政策を明確に示しました。これは、共和党・民主党の党派を超えた認識と言われています。この状況はしばらく続くと思われます。

 また、アフリカ、中近東などは、平成の時代の間に物凄く経済発展しており、今後も人口の増加に伴って成長が見込まれています。
 動的に海外をみることで、日本への影響を考えていかなければいけません。

8.まとめ

 思いつくままに書いてみましたが、当たり前といえば当たり前な話ばかりです。

 よく「国」というだけで、限界突破できると思われがちなのですが、そうではありません。この点を理解していただければ、建設的な議論につながると考えています。


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