心無い言葉は無くなればいいのに
よく見るネットニュースにコメント欄がある。
記事を読んでそのままそのコメントを読むことも多い。
色々な意見があって参考にもなる。
でも中には、酷いコメントが書いてあることがある。なんのためにこれを書いたのかよく分からないような。
私は、基本的に何かについてどう思おうがそれはその人の自由だと思う。
だから、酷い事を思ったっていいとは思う。
でも、色んな人が見るネットにそんな酷い事を書き込むということは、なしだと思う。
本人が目にしたら酷く傷付けるし、わざわざ本人に伝える必要は無いからだ。
そして本人でなくとも、なんとも嫌な気持ちになる。
さらに言えば、その書き込みをした人の品位をも下げると思う。
自分が書き込まれた側だとしたら、とても傷付くし、忘れたと思ってもまたふと思い出したりして、その言葉は心にずっと刺さって残っているだろう。
私が学生の頃、本人が聞こえるように悪口を言うクラスメイトがいた。
本人に直接は言わない。
でも本人には聞こえている。
聞こえてるのをわかっていて言っている。
きっと大人になってもやっている人はいるだろうと思う。
ネットでの心無いコメントはそれと同じような、気持ちの悪さを感じる。
私は、人間なんて心のどこかに黒い部分があると思っている。
酷い気持ちを人生で一度も思わない人なんているのかな?と思っている。
自分の事は棚に上げて、一段上から人を見下し、批判することだってあるだろう。
でも、それは外に発信しない方がいいと思っている。
それなりにそれぞれの人が理由があって発信しているのだろうけど、
そういった暴言は意見ではないと思うからだ。
とはいえ、ネットでの暴言が完全になくなることはないだろう。
もっと対策がされることを願う。
知りたくもない自分への暴言を、簡単に知ってしまう時代。
それに傷付いた時の気持ちの切り替え、心の持ちようも、自分を守るために必要になってくる。
でも目にしたり、耳にして、知ってしまった後に、平気でいるのはなかなか難しい。
傷付けられた側が何とかしなければいけないなんて、おかしな話だ。
強く生きていくことって、なかなか大変だ。
書き込んだ人なんて、きっと覚えちゃいない。
そういう人は簡単に踏みつけるし、相手がどの程度痛かったかなんて、考えちゃいないんだ。
だから、死んではいけない。
暴言を吐く人達は変わらない。
死ぬまでそういう生き方をするんだと思う。
死んだって周りなんて変わらない。
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