生命の起源。無機を志向する我々。

 太古、万事は為すがままであった。
現在より想定するに、そこには物質がただ各々に不変の性質を持ち、その因果によりめぐるのみであった。
もっとも、当時は観測者などいなかったので想像する他ない。
物質は生成変化するが、その最小にまで分解し説明するすべを今の我々は持ち合わせている。

 かくしてあるがままだったこの世において、膜を持つものが“生まれた”。
膜はその性格より内と外という区別を生むが、膜を持つそれに思考があったかは不明であるので、“外界”の存在も不明である。
太古を支配していた物質、つまり無機は、常にエネルギーの低い方へと傾く性質を持ち、それにより安定があった。そしてここに生まれた“膜”、有機は、自己の複製と小さな変化をもって安定を得ようとした。つまりエネルギーの高低を行き来するのである。かくして有機の一派は独自の路線を歩み始めた。

 膜による単純な有機、いうならば小胞は、その活動のためにエネルギーを取り入れ、それにより自己を増幅させていった。しかし完全な効率でそれを達成することはできず、代謝を必要とした。代謝されたものは自己に不必要なものであるが、どうしようもない。ただエネルギーの増加に合わせ自己を増幅、複製し、代謝が追いつかなくなれば機能不全を起こしその活動を停止するだけである。

 付言するが、未だこの時代に“外界”は存在しない。つまり、快・不快という単純な指標があるのみで、外界に向かう働きかけの一切が存在しない。乳児にとって乳房が自分のものであるように、あらゆる小胞に与えられるエネルギーも、小胞からすればただ自らのエネルギーが増大してゆくだけである。

 しかし、当然のことながら小胞を取り巻く環境は一定でない。引き抜かれた草のように、小胞にエネルギーが与えられなくなる時がくる。途端に小胞は機能不全を起こすが、一部の小胞は工夫の末あることをおこなう。これまで膜の内側にのみ注力してきたが、膜の反対側へ働きかけをしてみることである。その様子は我々が内臓を口から裏返しに出すようなものであろう。これまで代謝と生産にのみ注力していた小胞が、同じ器官を応用し体外に運動器官と呼べるものを設けたのである。

 それからの進歩はめざましい。運動器官による働きかけは環境の変化をもたらす。そしてより効率よく目当ての環境を求めるために、感覚器官、快・不快という単純な指標の受容器官を運動機関に持たせた。ここまでくれば、触手や触腕を持つような原始生物の姿を我々は描写することができる。

 このように生命は、そして我々は生まれた。しかし忘れてはならない。その原初において、無機と同様のことを我々は行っていたのであり、その時のあり方を求める側面が我々の裏側に潜んでいる。