繭
役目によってラベリングされることは不快なこともあるが助けられることもある。
人は多面的で誰かからみれば明らかに不幸であっても本人にとっては幸福なこともある。 上辺だけの判断できっとこの人はこうで理解を拒むことはきっと違う。 真実は時に曖昧で立場によって見え方は異なる。 誰も知らない真実もきっとそこにはあるはず。
それぞれが生まれながらや努力によって得たものを簡単に手に入れたかのように「得だ」と断じたり、持っているなら還元してくれと言う人はいる。 悪意がある、悪意がない問わずそれは個人を見てない表層的なラベリングでしか相手を見てないということ。 どんな間違いにも愛があり、どんな正しさにも暴力がある。 相手の痛みを理解すること。 相手の大切なものを理解すること。 相手が自分を憎む理由を理解すること。 相手を蔑ろにせず辛抱強く耳をかし、歩み寄ることで繋がっていく絆があるはず。
相手によって魅せる「じぶん」を変えていく。 人間は多面的な生き物であるからこそそれは当たり前のこと。 じゃあどうして見せる相手によって変えるのか。 一つの「じぶん」だけだと疲れてしまうし飽きてしまうから。 でもそうやって変えていく「じぶん」はどれも「ほんもの」。 決して嘘でも取り繕っているわけでもない。 嘘で固めてしまうとそれは安っぽい偽物の関係なってしまうから。 そうやって多面的な「ほんもの」の「じぶん」でいられる場所が今の立ち位置なんだろう。
・人生は旅。二度と出会えない素敵なものに溢れている。 ・片付けてはまた問題が発生することを繰り返してなんとかする。物語のようなきれいな終わりなんてないからこそ辛抱強く続けていくしかない。 ・厄介なことはたくさんあるが自分で自分を楽しむ時間さえあれば心豊かな生活が送れる ・私たちはどこにいてもどんな風に過ごしていても自分次第で幸せになれる。 ・笑うことも泣くことも誰かのせいにしたくない。 ・変わらない生活に出口はあるのか。期待されていないのに活躍することに意味はあるの
はじめての世界 新しいものに日々触れることでほんの少しずつ変わっていって苦手が受け入れられるものに変化していく主人公たち きっと軽やかに生きるってそういうことで、日々新しいものに触れて悩んで苦しんで一歩ずつ進んでいくことでしかないんだろうな 今の世の中移住はもちろん海外旅行ですら憚られる そんな世界だからこそ触れると心のドアが開かれて、いつか行きたい国に行った気持ちにほんの少しだけなる 家具を引越しに合わせて譲って行ったりする文化がほんの少し京都の大学時代を思わ
昨日友達と趣味ってどう答えてるかの話をした。 A子はハロプロが好きだけど初対面だとまず言わないと言った。 それほどお金をかけているわけではないし(現場にめちゃくちゃ行くタイプでもなく)、なにより「昔は好きだった(言外に今は興味無いを含めて)」言われるのがあれだからと言っていた。 興味のない相手に自分の好きなものを話すことに大しての気後れがあるらしい。 めちゃくちゃわかる。 それにお金をあまりかけてないからこその引け目があるのもとてもわかる。 なんだか、好き=趣味とは言え