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入院まで

入院を前に、太郎(仮名)の大好きな温泉に行くことにした。
何度か泊まったことのある大きなホテルだ。
屋上にある露天風呂が太郎は大好きだった。

太郎も妹の花(仮名)も大はしゃぎだった。

途中で寄ったサービスエリアでガチャガチャをする。
入院するときに持たせようと思い、腕時計のカプセルを選んだ。

眠れなかった。一睡もできなかった。

翌日、モンキーパークでおさるさんにバナナを上げた。

太郎は楽しそうだった。私は苦しかった。夫はやっぱり強かった。

温泉から帰ってからは、電話が鳴るのを待つだけの日々だった。
待ちながらひたすら病気のことを調べたが、一度目より二度目の方がはるかに厳しい。そんな情報しか出てこなかった。

専用のホットラインに電話もした。「申し訳ないが具体的な相談には乗れない」と言われた。ただ「今の病院は実績も十分で評判も良く信頼できる」と言われ、「初発に比べ、二度目は親御さんのショックが桁違いに大きい。大丈夫ですか?」と心配された。

そして、間の悪いことに、夫がインフルエンザにかかる。

夫はすぐさまホテルに避難した。しかし、今、病院から電話がくれば、入院は出来ない。

どうしよう。入院が遅くなれば、摘出手術も遅れる。一刻も早く取り除いてくれ。どうしよう。

その心配は杞憂に終わった。

連絡が来なかったからだ。電話をしても、入院担当から返ってくる言葉は「まだみたいです」だけ。大学病院への電話は気が重い。主治医が多忙を極めていることも知っている。それでも何日か置きに問い合わせていた。

学校を休ませていた太郎と2歳の花と過ごす時間はひたすら長く感じた。

突然、花がアナフィラキシーを起こしたこともあった。
夫にすぐ帰ってきてくれと電話をし、太郎を自宅に置いて、病院に駆け込んだ。幸い、点滴で落ち着いてくれた。

数日後、入院の連絡が来る。聞いていた予定より10日ほど遅かった。

告知から入院まで約3週間、ずっと私はこのまま今の病院で良いのか悩んでいた。

すぐに入院していたら考えなかったかもしれない。
空白の時間は、不信感を募らせる。

同時に『1歳の頃の治療が素晴らしかったこと』を思い出していた。

太郎が1歳を少し過ぎた頃だった。
気管支炎を患い、かかりつけの小児科医師に「顔色が悪いのが気になるのよね。酸素の数値が低いから念のため行ってきてくれる?」と、大学病院を紹介された。
夫には「喘息かもしれない」と電話をし、そのまま病院へ向かった。
診察を受けた途端、医師が看護師にたくさんの指示を出す。そしてバタバタと騒がしくなる中、呆気にとられていたら、太郎が私の腕から離された。私は何も食べていないことを思い出し、コンビニへ行った。検査が終わると「結果はまだ出ていませんが、このまま入院してください」と言われた。病院の固いベッドで携帯を頼りに病気を予測した。症状から勝手に予想した病気は1週間くらいで治る病気だった。

翌朝、夫が病院に来る時間を聞かれる。
それでも私はまだ事の大きさに気づいていなかった。
夫が到着するとすぐに奥の個室に通された。
告げられた瞬間のことは今も鮮明に覚えてる。
その場で転院先を決めなければならなかった。その病院では外科手術が出来なかったからだ。2つの候補のうち、系列の都内の大学病院を選んだ。夫の会社から徒歩圏内であったことが決め手だった。

わけもわからないまま荷物を詰め、そのまま自分たちの車で転院先へと向かう。チャイルドシートで寝る太郎をバックミラー越しに見ては、涙が溢れ、息も出来ないほど胸が締め付けられた。

到着したのは夕方。病棟に入れたのは夜7時過ぎ。
さらに一時間後、緊急エコーを受けることになる。
帰ったはずの放射線科医がわざわざ戻ってきてくれたと聞かされた。しかも教授だと言う。
そして、ナースステーションの一角で、病名の変更を告げられた。
朝に「おそらくこれでしょう」と伝えられていたよりもずっと予後の良い病名だった。一筋の光が見えた。

その後も、怒涛の検査が続き、一刻でも早く治療を開始しようという医療者の熱がひしひしと伝わってきた。他の大学病院で内科医として働いてた高校時代の友人は「信じられないスピードだよ。○大学病院、アツいね。良い病院なんだろうね。」と言っていた。

2ケ月後に受けたオペもまさに最強の布陣だった。
当時の外科病棟はスーパードクターが何人もいるゴールデンチームだと噂されていた。

半年にわたる母子入院だった。太郎はあそこで命を救ってもらったんだ。

一度目の治療の記憶をたどりながら、私は今の病院で良いのか、ひたすらに考えた。
情報を集めると、当時オペを執刀してくれたドクターたちがいなくなっていたことがわかった。今のドクターの経歴が気になった。外科手術は技量が全てだ。他にも判断に迷うことが多かった。
けれど、ホットラインでの病院の評価は高く、何より内科の主治医は5年以上も太郎を診てきてくれた、太郎も私も大好きな先生だ。

信頼からの期待と、不信からの不安が毎日せめぎ合っていた。

あの時、動かなかったことを悔いているのだろうか。

今の私なら違ったかもしれない。

事実、私は、治療の途中に、転院と転校と引っ越しを決断し、実行した。

この転院はもっと先の話になる。



入院までを振り返りました。何日かに渡って、記憶をたどりながら、何度も修正をかけました。
当時と今の自分を、離してあげることを意識してみました。

私は過去をジャッジしてしまう傾向があります。
この期間には「もっとより良い選択が出来たんじゃないか?」「やれることをやりきれなかったんじゃないか?」という自責の念が詰まっていました。
この時の感情を振り返ろうと思いましたが、もう散々し尽くしたことがわかりました。怒りも悲しみも含めてたくさん苦しんで、もう止めなよと言いたくなるほど自分を責めてきました。
この記事を書き上げた時、『ここはおしまいでOKでーす!』というサインをもらったような気がしました。それは、新鮮でふわっとする感覚でした。
最後にイラストを探していたら、「いらすとや」さんで最高の笑顔のフランキーに出会えました。
次は、手術です。丁寧に向き合ってみようと思います。

読んでくださってありがとうございました。

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