時間を節約して何か意味あるの?

時間術なるものが流行っているようである。今現在のはやりというよりは、もうかなりのロングセラーかもしれない。時間術とは、時間を効率的に使う方法のことであって、それによって生産性を上げることを目的としたものだ。簡単に言えば、無駄な時間を削って、お金儲けなり好きなことなりをしましょう、ということだろう。

ここでちょっと考えてもらいたい。時間を削って、その削った時間を利用して好きなことをする。果たして、それだけでいいのだろうか。80年を効率よく生きることができたとして、それってどういうことなのだろうか。もう一度言いますよ。時間を節約することによって、自分が好きなことをしたり友人と過ごしたりする。いいですね、素晴らしい。でも、それは一体何なのだろう。

時間を生活上の様々なことにうまいこと配分するということは、一体どういうことだろうか。それができたから何なのか、できなかったから何なのか。「そんなに言うなら、じゃあ時間を何に使うのがいいんですか」という反論が為されるかもしれないけれど、問題は、この「時間を使う」という言い方にある。時間というのは、人間の都合で使ったり貯めたりできるものなのだろうか。時は金なりというけれど、お金だったら使ったり貯めたりできるが、時は金ではない。人間が時を使うのではなく、時の中に人間がいるのである。

365日24時間を効率的に「使う」ことができたとして、80年の人生をうまいことやりくりして死にましたということになったとして、そんな人生に何の意味があるのだろうか。時間術を利用する人は、まずもって、時間とは何かということを先に考える必要がある。それは、すなわち人生とは何かということを考えることにつながるはずである。

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