失敗から学ぶことの価値

昨日、失敗したことがあって、しかし、失敗は成功の母、そこから学んだことがある。さて、失敗から学んだこと、というこの言い方なのだが、まあ、これ自体は正しいだろう。失敗することで分からないことが分かるようになるということは、いくらでもある。しかし、である。失敗したことで分かったことがあるとして、それは、失敗を埋め合わせることができるほどのものだろうか。

もしも、失敗しなかったことと、失敗して分かったことを比較したときに、前者が後者を、良さの点で上回っていたら、失敗から何か学んだとしてもそれって意味ないんじゃないかと思う。

そうして、もしかしたらそういう人間がほとんどなのではないか。よく、失敗から成功をつかんだ人の例として、エジソンが挙げられる。確かに、エジソンは成功したかもしれない。しかし、そういう人はほんの一握りであって、ほとんどの人は失敗して、失敗したまま終わりとか、あるいは、失敗から何かを学んだとしても、失敗分を埋め合わせることができず終わりとか、そういう一生を送るのではないか。

とすると、「失敗を恐れずに挑戦しよう」というのは、多くの失敗者を作り出すことで、一人の成功者を作り出そうとする言い方ではないだろうか。

もちろん、幼い頃は、失敗が不可避である。お釈迦様のように、生まれたときから、とことこ歩いて、「天上天下唯我独尊!」とは行かない。失敗しながら学ぶということが成長するというまさにそのことだ。しかし、いったん長じたら、「どんどん失敗すべき」とは言えないのではないか。仮に言うとしても、「どんどん失敗してうまくいく人間は、ほんの一握りである」ということを、同時に注意すべきだろう。

時は、永遠には存在しないのである。失敗ばかりしている時間は、そうそうあなたには残されていない。では、どうすればいいのか。そんなことが分かっていたら、わたしは、失敗していなかったことだろう。しかし、少なくとも、「とにかくやってみてどんどん失敗しよう」というのは違うだろう。失敗を恐れずにというが、どちらかと言えば失敗を恐れ、状況をよく見ることが大切なことではないかと思う。それを、今回の失敗から学んだ。まあ、それほど大した失敗でもなかったので、こういうことが分かったということは、今回のわたしの失敗は成功だったということである。

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