7/6 from Fukushima

今日は、小雨が降っていて涼しい。雨が降っていると涼しさ以外にありがたいことは、道路族が出没しないことである。どっちみち今日は平日なので、午後までは出て来ないけれど、雨が降り続いてくれれば、午後遅くから夕方にかけても出て来ないので、本当にありがたい。雨よ、降り続いてくれ。

それにしても、「常にボールの音がしない住環境」というのは、これ、そんなもの当たり前の人にしてみれば、当たり前すぎて、むしろ、それを持っていないわたしのことを、「ひどく下劣な環境に住んでいるんだなあ」と、哀れみの対象として見るかもしれないが、そういうわたしにしても、当たり前すぎて、それが無いなどということを考えもしないようなものを、それなりに持っていることだろう。こうして、文字が書けることとか、インターネット環境とか。当たり前のものは価値があるものとしては見ないものである。逆に言えば、当たり前のものを価値あるものとして見るためには、感受性が必要であるということだ。感受性を磨くための、「しばしばボールの音がする住環境」であれば、まあ、それなりに意味があると言えなくもない。

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