面白いことが起こらなかったことの価値

今朝、階段から転げ落ちそうになった。落ちそうになっただけで、落ちてはいない。「おいおい、落ちた話なら分かるけど、落ちなかった話なんか面白くも何ともないからやめてくれよ」と思われるかもしれないけれど、お話ししたいのは、まさにその「面白いことが起こらなかった」ということの価値についてのことである。

階段から転げ落ちず怪我をしなかったわけだが、転げ落ちて怪我をした可能性はあったわけである。でも、しなかった。これは、偶然に過ぎない。今、こうして、このノートを書いているわけだけれど、もし腹痛でも起こっていたらそれどころではないわけである。そうして、腹痛になっていた可能性もあったわけで、そうならなかったのは、やはり偶然に過ぎない。

あらゆることをこんな風に考えていくと、現在普通の暮らしをしていることが、あまたの「起こらなかったこと」のおかげであるという風に考えることができる。人間、暇だと、「なんか面白いこと起こらないかな」と考えるものだが、そうやって暇にしていられるのも、そういうような面白いことが起こらなかったおかげなのである。

生きていること自体を、そのように、「起こらなかったこと」のおかげなんだと考えていくと、人生に対する覚悟のようなものが変わってくるのではないか。何か事が起こったときでも、どうしてよりによってこのときにこのわたしに起こるのか、なんてことを考えなくて良くなる。これまでが、たまたま起こらなかっただけで、起こるときもあるのだと考えることができれば、そうそう物事に動じなくなるのではないかと思うが、どうだろうか。

#エッセイ

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