一人きり、考えたり書いたりしているのが好み

人と会いたいという気にならない。そもそもそう社交的ではないということもあるけれど、人と会ってどうするという気がする。ただただ、わずらわしいだけである。人と会うと世界が広がるという人もいるけれど、世界よりも広いのが心だと古人は言ったわけで、それなら自分の心、そこに移りゆくものを眺めているだけでもう十分じゃないだろうか。

そういうわけで、昔は多少友達もいたが、今は全くいない。それで特に寂しさを覚えもしない。こういうことを書くと、孤高を気取ってやがると思う向きもあるかもしれないが、そう思ったあなたが知らないだけで、こういう人は結構いるのではないか。そもそも一人でいる人というのは目立たない。なぜなら、「一人でいる」とは、定義によって他人と関わらないことを表すからである。あるいは、社交的な人の中にも、他人といるときはうまいこと仲良くやるけれども、一人きりでいる方が実は好みであるという人も割といるのではないか。

人といるよりも自分を見つめた方が面白い。人は孤独の価値をもっと知った方がいい。汝自身を知れ、とも古人は言った。自分を知るということは、言うほど簡単なことではない。そもそも自分とはなにか。知る対象が分からなければ、知りようもない。そういうことを日がな一日考えているわけではないのだけれど、そういうことを考えることが楽しい。この楽しみに比べたら、他人と出かけたり、他人と飲み食いしたりなんてことは、なにほどのこともない。なので、たまにそういう機会がもたらされても、ほとんど断っている。

断捨離がブームだという。人間関係も断捨離することをわたしはお勧めしたい。丸ごと断捨離することは無いけれど、多少整理した方がいいのではないか。人間にとっては他人との関係が大事なんだと言う人もいるかもしれないが、関係を大事にするということは、自分を関係の網の目の一つとして見るということであって、それは自分を大事にしないということにつながる。自分なんか大事じゃないよと言うのであれば、それはそれでいいのだけれど、この自分という摩訶不思議なもの、さらにはそれを通して自分が生きる世界を考える機会を失ってしまうのは、ひどくもったいないことだと思う。

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