別れについて

出会って、気が合って、仲良くなって、しかし永遠に続く仲などない。それは、人と人との関係性がもろいものであるからというよりはむしろ、人間が永遠を認識できないことによる。別れは必ず訪れる。さよならだけが人生だ、そう歌った詩人もいる。さよならだけが人生だと歌う詩人に対して、ある詩人は、さよならだけが人生ならば人生なんかいりません、と歌った。しかし、人生はいるとかいらないとかいったたちのものではないのである。すでに人生が与えられているところから、わたしたちの人生は始まるのだ。その人生に別れがつきものである以上は、生きていく上で別れは避けられない。

別れは、死別のように意志によらないものもあれば、自ら袂を分かつときのように意志によるものもある。死別は悲しみを呼ぶが、自ら別れを選んだときは、悲しみよりもむしろ口惜しい気持ちが勝るときがある。なんであんな人と付き合ってしまったのか、と。しかし、そうではない。時が経つにつれて、相手は変わり、自分も変わったのである。人が生まれ、成長し、やがて死ぬように、二人の関係性も結ばれ、変化し、終わったのだ。これは避けられないことであり、口惜しいと思うことではない。

終わったことによって、始まったことに価値が無くなるわけでは決してないのだ。試合終了の笛が吹かれたことで試合内容に価値が無くなるだろうか? 二人の仲が終わっても、二人の仲が結ばれたことに価値はある。一時出会って、一時交わりを結び、そうして別れる。それでいいし、それは必然である。出会いの中に別れはすでにして含まれており、別れは新たな出会いの始まりである。だから、わたしたちは、大いに出会えばいいし、大いに別れればいい。「さよなら」は、悲しいことではあるかもしれないけれど、悲しむべきことではない。

強いて笑顔で別れる必要性は無いが、笑顔で別れることもできるのではないだろうか。互いが、別れの意味を、出会いの価値を信じることができる関係性であれば。だから、わたしは、できることなら、別れるときには、笑ってさよならを告げたいのだ。つまり、それは、笑って別れを告げられる人と出会いたいということでもある。願っていれば、きっとそういう人と出会うこともできるだろう。さよならだけが人生さ、というのは裏返し、出会いだけが人生さ、ということでもあるのだから。

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