「スキ」か批判をするだけのリアクション人生について

おぎやはぎというお笑いコンビの一人である小木氏が、情報番組において、不倫をした俳優のその妻である女性の行動に対してコメントをしたのだが、そのコメントについて批判が殺到し、炎上しているということである。

このnoteでは、小木氏のコメントの当否について論じたいわけではないので、具体的にその中身を知りたい方は、上のリンクからどうぞ。

わたしが論じたいのは、ある人の主張に対する反応の仕方についてである。ある人が何かについて主張したとする。それに対して、昨今、その主張を見聞きした人は、即座に、賛成か反対かを決めてしまっているように思われる。賛成すれば、「スキ」、反対なら、批判。

もちろん、ある人の主張については、賛成か反対か、もしくは、興味無ければスルーということしか反応することはありえないのだけれど、ちょっと、そのスピードが速すぎないかという気がする。主張の理由や背景などを探ろうともせずに、その主張をただ字義通り読み取って、賛成反対を決める。そうして、決めたあとは、もうその件については省みない。

主張された内容について、普段からよくよく考えているというなら、まだしも、そうでもないのに、何を考えることもなく、感覚で「スキ」か批判を選ぶという、この感性のあり方は、危ういのではないかと思う。危ういと言っても、別に、社会にとって危険だと言っているわけではなくて、そうやって、簡単にスキか批判かを選んでいるその人にとって危険ではないかと言っているのである。

ある主張を聞いて、その主張の理由や背景などを十分に吟味せずに、そのときの感覚で「スキ」か批判かを選ぶというのは、これは、単なる反射である。もちろん、とっさの反射というのが必要な場合もある。ストーブの上に手が触れたときに、「このまま触れておくべきか否か、それが問題だ」なんてやっていたら、やけどしてしまう。しかし、人生の全般を反射によって過ごすとしたら、それでも、それは、人生を生きていると言うことができるのだろうか。

反射で生きるのであれば、これは動物でもしていることで、人間が動物と違うのは、意志をもって考えて生きることができるというところだろう。ある主張内容について「スキ」か、批判をする前に、その主張内容について、どうしてそのような主張がなされたのか、十分に吟味してみることをお勧めする。

(コメンテーターの方が十分に考えずにコメントしているということもあるのだが、これは、また別の問題である。)

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