「自分さえよければいい」という真実

自分さえよければいいという言い方は、他人への思いやりを欠いた人間失格として、非難されることが多い。しかし、人は、自分のことしか考えることはできない。「いや、そんなことはない、他人のことを考えることもできる、それがおもいやりじゃないか」と言う人もいるかもしれないが、それは、あくまでも、他人のことを考えていると自分が考えているだけのことである。その結果が余計なお節介になることがあることからも、分かるだろう。

なので、自分さえよければいいと考えている人も、他人のために頑張っていると思っている人も、自分のことしか考えることができないという点に関しては変わらない。後者の人は、「他人のため」が「自分のため」になっているだけのことである。

さて、わたしは、自分さえよければいいと考えている人と、他人のために頑張っている人のどちらと付き合いたいかと言えば、これは当然に後者である。なぜなら、そうやって他人のために頑張っている人は、このわたしのためにも頑張ってくれるかもしれないからだ。ここにも、「自分さえよければいい」が働いてくる。

「自分さえよければいい」の裏返しは、自分がいいと思えば他人がそれについてどう思おうが関係ないというものだ。これは、社会にとっては危険思想になりうる。だからこそ、この「自分さえよければいい」は社会から排除されることになる。

自分さえよければの「よい」を、「善い」と書いてみよう。自分さえ善ければそれは自分にとって善い。従って、他人が善いか悪いかは、自分には関係が無い。他人が悪くても、それは他人にとって悪いだけで、自分にとってはちっとも悪くない。他人が悪いことをしていても、だからといって、自分も悪いことをしたら、それは自分にとって悪いことになる。これは、倫理ではなく、論理の話である。

人は自分のことしか考えることができない。でも、その自分って一体誰のことだろうか。自分とは誰か、いや、何か。そこを考え詰めていくと、その自分の中に、他人も入っていることに気がつくだろう。だとしたら、自分にとってよいことは、他人にとってもよいことになる。自分さえよければいいを徹底すれば、いつの間にかそれは他人のためにもなっている。

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