無能の足掻き

人の心を動かす才能や人を助けられる技術があり、周囲の人を幸せに出来る美しい性格の人。
これが私の理想とする自分自身である。

時々、理想とかけ離れた自分というものを目の当たりにすることがある。
それを自覚した瞬間、思わず太いマジックで塗りつぶしてしまいたくなりような自分にだ。
他人や一時の感情に流されて人の悪口を言ってしまった時、自身の失態に気付いていながらも正当化している時、漢字の読み間違いに気が付いた時。

大小様々ではあるが恥の多い生涯を送っている。
送ってきました、とは言えない。

私はどちらかと言えば自身への理想が高い方である。
その結果、自分というカバンに何でもかんでも詰め込もうとし、何がしたいのか分からない乱雑なカバンになっている。理想を叶えるのに必要な物を用意するには時間も体力も意思もいる。そんな当たり前のことを知っていながらも一つずつ用意することも、置いていく物を選ぶことも出来ない。
更にたちの悪いことに、意志薄弱ゆえに高く積みあがった理想に辟易とし、詰める作業に中々手を付けることも出来ずに停滞している。
中途半端で使えぬ技術や知識を詰め込んだカバンは、活躍する機会などない。
私自身、ガラクタばかりのそのリュックに何が入っているのか分からなくなっている。だから、何を持っているのかを人に伝えることも出来ない。
いいや、一つ一つ説明する勇気もないのだ。もっと良いものを沢山持っている人を知っているから。私にとっては持ち物の説明すらも恥になる。

何もかもが中途半端で誇れるほどの才能はない、器用貧乏。
否、一つの事を習得するにも時間が掛かる私は不器用貧乏だろう。

そんな私が性格だけは美しくあろうとすることはただの足掻きだ。
「知識や技術がなくとも実現可能で自身のなりたい姿でもある、わりと簡単に自己実現できそうだ」という美しさと矛盾した醜い考えから生まれる足掻きだ。けれど、自身がなりたい姿という事もまた真実である。
しかし、いざそれに縋って足掻いてみると「性格の美しさ」の指し示す曖昧さゆえに却って足を取られ、溺れそうになった。
そもそもの発端が性格の美しさと矛盾した考えからくるものなので、当然と言えば当然かもしれないが。

世間一般的に言われる性格の美しい人とは他者の幸福を願い、そのために行動出来る人であろう。

と、すると私の場合に問題が生じる。
私の性格の美しくあろうとする気持ちは自身の理想から来るものである。
つまり、この感情の発端は自己愛である、という事だ。

他者への愛と自己愛。
このバランスを取ることが何の才能も持たない私にとっては不可能なことのように思えて仕方がない。才能や技術のある人にとってはそれらを発揮することで他者を幸せにすることも出来るし、自身もそれによって満たされることが出来るのだろう。
何も持たない私は、自分自身を擦り減らすことしか能がない私は、他者を幸せにしようとすればするほど摩耗していく。長持ちはしない。
もちろん、人から感謝されて幸せを感じないわけではない。幸福と同時に代替可能であるという考えや、他の人ならばもっと上手くやれたのではないだろうかという考えに侵されるのだ。
自己愛が不足しているがゆえに他者を愛することにも自信が持てずに摩耗していくのである。

このような場合、バランスを取るためには自分自身が愛されている、という感覚が重要になってくるように思う。

それを与えてくれるものは家族や友人、尊敬してくれる人など色々あるがその最たるものは恋人であろう。
しかし、あくまで私の場合であるが恋人がいれば良いわけではない。この場合も条件があるのだ。恋人に対する条件というわけではない。自分自身への条件だ。

自身への理想が高い私は、単に愛されたとしても満たされない。何か他の人とは違う秀でた才能や技術ゆえに愛されたいのだ。理由が欲しいのである。
これは相手に他の人とは違う点を認めてもらいたいという思いからくるものではない。それらの点なしに愛されることを受け入れることは自分自身にとって甘えであると感じてしまうのだ。
自身への理想の高さゆえに、程度の低い自分が愛されることによって自己愛を満たそうとすることが許せない。才能や技術を得ようとせずに自身が愛されるだけの価値がある人間であると錯覚する空虚さを受け入れることだと考えてしまう。

才能がないゆえに自身を愛せず、それでも自己を愛するために他者を愛そうとすると、今度は他者を愛するために自身を愛する人が必要となった。
にも関わらず、それすら自己愛のなさゆえに受け入れられず、自己を愛するための才能が必要になった。自分を愛せないループの誕生である。

結局、捨てられないのだ。
自身の才能の無さを痛感してもなお、憧れてしまう理想の自分。

人の心を動かす才能や人を助けられる技術があり、周囲の人を幸せに出来る美しい性格の人。
どの要素が欠けても満足する事は出来ない。

私は今、自分を愛せないループに陥っている。
けれど、絶望はしていない。抜け出す方法を知ってるからだ。
その方法はただ一つ、理想に向かって努力し続ける事だ。
きっとこれからも色んなものに手を出してしまうだろう。
理想に押しつぶされたり、辟易とすることもあるだろう。
理想と現実との差に愕然とし、自己を肯定するためだけに他者を批判してしまうこともあるかもしれない。
これからもそんな恥の多い人生を歩み続けるだろう。

それでもいつか、何か出来ることを見つけられるかもしれない。
何も見つけられなくても、自分を好きになれる日が来るかもしれない。

理想を追い続ける事。

それこそが私という自分を愛する事すら出来ない無能にとって唯一残された自己を愛するための足掻きである。
そのことを忘れないように、戒めとしてこの文章を残しておこう。

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