SS「遠い街の喫茶店」
ケーキセットとホットドッグだと1670円だけど、ホットドッグセットとケーキだと1550円で少し安いから、と、そっちにしてくれた。
ホットドッグは焼くのに時間がかかるからケーキを先に出していいか聞かれたのでもちろん了承した。
上品な赤い薔薇の絵が描かれているソーサーとカップ。コーヒー。
白くて丸い皿に控えめなクリーム色でこちらも薔薇の絵が添えられている。主役はチーズケーキ。二口分のアイスクリームは知っている味がする。
マスターはおしゃれなメガネでオフな感じだった。変な時間に来てごめんなさい。奥さんは(もしかしたらマスターかもしれない)、時折り顔を出して「ホットドッグちょっと待ってね」と言ってくれる。喉を痛めてるようで随分しゃがれていた。
なんでお冷がエビスのグラスなんだろう。しかも小さいやつ。
ソーセージを焼いている匂いがする。
ソーセージを焼いてる匂いってソーセージを焼いてる匂いだよな。
チンッ
大きくて深くて白いお皿にドンとしたホットドッグ。フランスパンだ。ちょっと辛くて美味しい。
来た時にアチアチで飲めなかったコーヒーがもうぬるくなってしまった。美味しいけど。
熱さって有限なのね。
幸せだ。
ここに自分しかいないことを幸せだと思える気がしてくる。
僕だけのものだ。
目に入るものを切り取ってしまうような病。
そんな恐ろしいことをしなくても、この街にはちゃんと自分ではない人たちが住んでいる。
誰かに自分が幸せだと言わなくても、私は幸せに生きていける。
手作りの、更の紙袋の中にある、更の本。
シワのない、薄くて白い紙の、袋。
本当は海まで行きたかったな。
家族で旅行に出掛けて、しまりかけの温泉に入った帰り、どこの県だかも覚えていない畑の中を通る道を走る車の中が、最初で最後に正しくラジオを聴いた時間だった。
あれは祖父のシボレーだったかシヴィックだったか。ああ違う、銀色のBMWだ。なんでもないことを話す。誰かにとってなんでもなくないニュース。生まれる前に生まれた音楽。暗闇の中で、誰も話さない夜の中で、青白いディスプレイがただ1人話し続けている。あれは夜だった。
電車の中で、暗くなった空に浮かぶ都心を眺める。……眺めたかったのだが、もう都会だったみたいだ。沿線に高いビルが並び、それは叶いそうになかった。
ハルカナカムラの曲は1人にさせてくれない。
外の音のレイヤーに重なって音楽になっている。そういうこともあるか。
静かに夜に重なっている。
SSあるいは日記「遠い街の喫茶店」
サムネイルはAdobe Fireflyで作成。
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