13年経って3月が少しだけ好きになった話

2011年3月11日。
あの日の午前中は中学の卒業式。
帰宅して家にいた時。
午後2時46分。
東日本大震災が発生した。

あれから何年経っても、何十年経っても。
「フクシマ」にいる限り、ずっとあの日を忘れさせてはくれない。

福島にいると、震災と原発事故がセットで語られる。
それは仕方ないことだ。
震災の大きな被害はあの時だけかもしれないが、原発事故による被害は今も続く。

年齢を重ねるごとに、3.11が近づくと気が重くなっていた。
昔は揺れや津波の映像がなんともなく見れていたのに、今では想像力が掻き立てられて見ることができなくなった。
特に3.11が土日になったり、節目の年を迎えたりすると、一日中特集番組を流していることもある。その前後の日も同じ。
それにも耐える力が弱くなって、昔ほどテレビを見なくなった。

大人になって、その日に生まれた子を持つ人と知り合った。
たまたまその年のその日に生まれただけなのに、なんだかなあ、と思ったり。
同じ人は全国にたくさんいるよなあ、と思ったり。
その人たちにはどうか幸せな一日であれ、と思うけど、その日は社会の空気はどこか息がつまるような気がする。

そんなのも全部ひっくるめて、3.11という日付がだんだんなんか嫌になってきた。
被災者だからこそ忘れたくなる、と思うこともある。
あれを経験しない人生というものはどうなっていただろうと思う。

なので、3月上旬はだいたい暗い気持ちで過ごすことが多い。



2023年の夏、本格的にSixTONESが好きになり、自担の髙地優吾さんの誕生日が3月8日であることを知った。

誕生日。
ただ一つ年齢を重ねる日と言えばそのままだが、ファンはその日を迎えると特に何もないのに明るい気分になる。

自分の年齢は忘れるくせに、自担の年齢はちゃんと把握している。

本人不在の誕生会をやったり。あるある。

3月8日、特になにもできないなあ〜。
おめでとうツイートくらいしかできないなあ〜。
などと思っていたらあっという間に3月上旬になっていた。

不思議なことに、そっちに気を取られて、今年はあんまり気分が落ちなかった。

そうか、わたしはこの時期だからといって、毎年毎年考えすぎてたのか。
被災地域に住むものとして、なんか使命感に駆られていたのかもしれない。
という答えに辿り着いた。

「被災者」からの卒業。
なんてことはたぶん「フクシマ」にいる限り当面はできないんだろうなと思う。
でも、少しくらい「意識的に遠ざける」ことで心を穏やかに過ごしてもいいよな、と思った。

そんな、13年目の3.11を迎えようとしている。

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