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富山県は本当に「『寿司』と言えば富山」になれるか? vol.2

 前回、富山県が突然(議論はたくさんしたのだろうが、一般人から見れば突然)、「『寿司』と言えば富山になるぞ!」と宣言したことに私がいろいろ考えを巡らせ、まずは富山の寿司屋を巡ってみようと思ったことを書いた。幸いなことに富山の友人たちが数多くの美味しい寿司屋を教えてくれた。その中からまず、富山県の玄関口、富山空港の到着ロビーの隣にある「とやま鮨たねや」を訪れることにしたのである。

たねやのこだわり

 実はここ数年、富山に行くときは新幹線ばかりだったため、「たねや」の存在自体を知らなかった。ところが富山きときと空港に降り立つと、到着ロビーのすぐ隣に店があるではないか。11時の開店時刻を過ぎていたので急いで入ろうとしたら「魚の到着が遅かった為11時30分開店致します」との張り紙があり、余計、期待感が増す。

期待感が高まる

「とやま鮨」は富山駅前にある回転寿司の名店として知られるが、こちらは回らないばかりか、種口さんという名物店長が美味しい寿司を握るという事前情報をキャッチしていた。予約可とは聞いていたが、ひとりだし空港寿司だし、大丈夫だろうとたかをくくっていたら、予約客が多く、ぎりぎり一巡目に潜り込めたというわけだ。
 ほとんどの客は「特上握り(6490円)」を頼んでいるが、私は地物中心の「お勧め5貫握り(2420円)」を注文し、あとはお好みで追加する作戦にした。ネタはもちろん、醤油もお茶も富山にこだわる大将が握る寿司で、この日はふくらぎ(ぶりの幼魚)、かさご、大トロ、紅ずわいがに、ふくらぎのなめろう。これに安吉の蟹みそ、キジハタ、太刀魚のあぶり、のどぐろと紅ずわい蟹の混ぜ込みを追加した。どれも店長が丁寧に説明してくれたが、ぴんと弾力のある白身から始まり、きときとな寿司ばかり。さらに特徴的なのは、酢飯の上にネタが幾重にも重なるサービス感あふれる握りが多いこと。特にたねやオリジナルの「のどぐろと紅ずわい蟹の混ぜ込み」は富山に来たら誰もが食べたい魚介が一度に食べられるスペシャルな握りで、「富山に来たんだなあ」という感激を味わえる。東京でよく食べる「江戸前寿司」とは全く違う寿司であることを胃袋に叩き込まれたのである。

のどぐろと紅ずわい蟹の混ぜ込み

 夜は若い友人であり、富山で焼肉「大将軍」をはじめとして多数の飲食店を展開している「ガネーシャ」の本田大輝社長がとっておきの寿司屋に案内してくれた。上本町にある「銀八鮨」である。私が信頼している複数の友人も推しているのに食べログは3.06という評価(9月27日現在)。しかしレビューを読んでみると好意的なものばかりで、こうしたミスマッチが地方の食べログの不思議なところだ。

庶民的な外観

 ガラスケースの前のカウンターとテーブル席だが、美味しいものを知る地元客で満席。友人のおすすめでバイ貝の串焼きと煮物、甲箱蟹、鰻の白焼きをつまみで頼んだのだが、どれも見事な味。実はこの日は銀八だけでなく、「立ち喰い鮨人人」「とっとやれや寿司」をはしごすることにしていたので、銀八では握りはあらとヒラマサ、香箱蟹だけだったが、どちらも新鮮さがピカ一でするっとお腹に入る。

鰻の白焼き

 

ひらまさの握り

 続く「立ち喰い鮨人人」は富山の知る人ぞ知る寿司屋「鮨し人」のオーナー、木村さんが開いた立ち喰い寿司。鮨し人は現在休業中なので木村さんもいまはこちらにいることが多い。鮨し人の名物、茶わん蒸しから始まり、アジフライやいくらを楽しんでから、さわら、かます、くろむつと握ってもらったが、いずれも昆布〆。そう、富山の名物は昆布〆の刺身だったことを思い出す。これが木村さんの赤酢の酢飯になじんで美味しい。この味は富山ならではだなあ。これが立ち喰いで気楽に食べられるなんて富山も新しい風が吹いている。

シックな立ち喰い寿司
昆布〆寿司も富山の名物になる予感

 そして最後は「とっととやれや寿司」。不思議な名前だが、富山市の繁華街である総曲輪にある「あまよっと横丁」の一画にある、今回の案内人の本田社長がプロデュースしたポップアップ寿司居酒屋である。「あまよっと」とは「富山」をローマ字に変換して反対から読んだ日本語。小さな横丁にコンテナが並び、バルや居酒屋が並ぶのだが、その奥に期間限定で出来たという。わいわいがやがやと酒肴を楽しみながら、寿司もつまめる居酒屋、しかも26時までオープンというから宵っ張りにもぴったりだ。

コンテナの中のポップアップ寿司居酒屋
寿司はきときと

 実はこの日、たねやと銀八を回る中で私の頭の中では、富山の寿司の身上は「呑み寿司」にあるんじゃないかと思いつつあった。江戸前寿司を寿司の最上のスタイルと思っている寿司ファンにとっては、寿司の神髄は「いい仕事をしているかどうか」である。「仕事」とは食評論家の山本益博さんが定着させた言葉で、寿司ネタを酢で〆たり、煮たりとひと手間加えることでネタそれぞれの旨みが増し、同じように仕事をした酢飯とうまく合って寿司としての一体感が生じること。その背景には、江戸前寿司が生まれた江戸時代は生魚の流通が発達していなかったため、しっかりと仕事をしないと食べられないネタが多かった実情があったといわれる。
 しかし、富山は目の前が富山湾。きときとな魚がすぐに調達できるから、仕事のことなど考えなくてもいい。しかも立山の雪解け水が流れ込む田んぼで作られた米はぴかぴかで旨く、極上の酢飯となる。その米で作った旨い日本酒を富山湾の魚で楽しみ、最後にその酢飯にきときとな魚を乗っけて食べて満足する「呑み寿司」こそが富山の文化なのではないかと思ったのだ。
 本田さんも「とっととやれや寿司」を始めるきっかけについて、ニュースリリースに<職人とお客様、お客様とお客様の距離が近く、コミュニケーションをとる中で出会いを楽しみながら、食事も楽しめる居酒屋スタイルの寿司屋。(中略)寿司自体がもっと身近になることを目的とし、回転ずしよりも美味しくてサービスもいい『寿司居酒屋』というニュージャンルを発信していきたいと考えている>と書いているし、我々も今回3軒ハシゴしていくうちにいつしか、「富山のスタイルは呑み寿司だよね」という言葉で盛り上がっていった。

とっととやれや寿司の看板

 私は以前、関西における日本料理の発達を考察したことがあった。いまや日本人のほとんどが「日本料理と言えば京料理」と思っていると思うが、戦前の日本料理の主流は「関西割烹」「喰い切り割烹」と呼ばれる大阪の料理だった。というのも、当時は前述の江戸前寿司同様、流通が発達していないから、海から遠い京都では新鮮な魚が流通せず、鯖街道でわかるように仕事を施した料理が発達したといわれる。いっぽう、大阪は「天下の台所」だ。海のものも山のものも新鮮な材料がすぐに手に入るから、わざわざひと手間かける必要がなかったわけだ。
 だからカウンターの目の前でとれたての魚や野菜を切り、焼き、炊くといった、手をかけない「喰い切り料理」が流行ったのである。昭和初期、やはり醤油味の濃い皿が並ぶお座敷料理が主流だった東京に「浜作」や「出井」などの関西割烹がやってくると、東京はたちまち席巻されてしまう。この時の関西割烹とは京都ではなく、大阪の料理のことだったのだ。
 だが、その後の物流の発達で大阪と京都の差がなくなると、いつしか関西割烹は京料理に駆逐されていった。そのひとつの理由は京都のブランディングのうまさだと思うが、それまでひと手間かける技術が発達していった京料理に新鮮な食材が加わったわけだから、鬼に金棒状態になったこともあるだろうと私は考えている。
 そう考えると、富山の寿司は「喰い切り割烹」に近いのではないか。さんざん富山湾の海の幸を楽しんだのちに、新鮮な魚を旨い米の酢飯の上にのっけた「〆の飯」を楽しんで終わるという文化は、食材の宝庫である富山だからこそ発達したもの。江戸前寿司信奉者は東京という場所で進化を遂げている寿司を評価するかもしれないが、富山には富山という場所で進化した寿司がある。文化とはそういうものである。
 そう考えてリストを眺めなおしてみると、富山は「呑み寿司」の名店がやまのようにあることに気づく。もちろん、まだ訪れていないから軽々には判断できないが、富山市内だけを取ってみても、「えび寿し」「松乃寿司」「歩寿司」などからは「呑み寿司」の名店の香りが漂い、今後の訪問が楽しみでしかない。

銀八の「本日の酒肴」

 だが、その「呑み寿司」の文化に江戸前の仕事が加わったら、富山の寿司はどう変化するのか。当然ながら、食文化は時代とともに変化する。しかもネットの時代は、新しい情報が瞬時に共有されることが特徴。富山の呑み寿司に江戸前の要素が加わった寿司屋も富山県内にはどんどん増えている。次回はそこを巡ってみたいと思う。
 実はいま、大阪も熱い。京都に取られていた日本料理の伝統を奪い取るべく、新しい店が数多くできている。富山もきときとの魚に仕事が加われば、これまた新しい寿司文化が誕生するのではないかと私は思っている。さらにいえば、インスタ映えする寿司も富山らしい寿司といえよう。

たねやの蟹みそ寿司

 そして忘れてはいけないのは鱒寿司だろう。私は「寿司と言えば富山県」の重要なキーコンテンツは鱒寿司だと考えているから、もちろんその検証は怠りなくやるよ。
 まだまだ続く、富山寿司の旅。

★とやま鮨たねや

★銀八鮨

★立ち喰い鮨人人

★とっととやれや寿司


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