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ぼくの5人 (レジェンド編)

先日、ユベントス会議室にて好きな選手5人挙げて下さいというお題をいただいたので今日はそれら選手達について書いてみたい。本来、箱押しのぼくだが今日ばかりは選手にスポットをあててみよう。今回はレジェンド編だ。

アレッサンドロ・デルピエロ
言わずと知れたユヴェントスのバンディエラ。パドヴァでキャリアをスタートし、19歳でユヴェントスに入団。2012年に退団するまでクラブの顔として活躍した。デルピエロについては少々乱暴だが、ユーヴェの生え抜きという認識をしている(プリマでの出場歴もわずかながらある)
印象的なのは度重なる復活劇だ。
98年に前十字靭帯断裂という選手生命を危ぶまれるほどの大けがを負い翌シーズン復帰するもベストのプレーからは程遠く、もうかつてのようなプレーは出来ないと囁かれていた。デルピエロが復活の狼煙を上げたのは01-02シーズン。開幕戦で2ゴールをあげその年ユヴェントスはスクデットを奪還。翌02-03シーズンはCLでも活躍しチームを準優勝に導いた。
しかし、その後04年にカッペロ監督が就任し、イブラヒモビッチを獲得すると立場が危ぶまれる。カペッロは度々デルピエロをベンチに座らせるも彼は腐らずピッチで結果を出し続けカッペロ政権での2年連続のスクデットに貢献する。
その後、発覚したカルチョスキャンダルによってBに降格もデルピエロは真っ先に残留を宣言しチームをけん引。そのシーズン得点王を獲得しチームも1年で昇格。翌年は復帰したセリエAでも得点王に輝きCL出場権を獲得した。イタリア史上初のBA2年連続の得点王に輝いた。
こうしてデルピエロとユヴェントスの歩みを振り返ると彼の活躍した年はユヴェントスのチーム自体も躍進し、何らかのタイトルやクラブの目標を達成している。デルピエロは紛れもなくユヴェントスのエースであり象徴であった。

最後に、デルピエロの一番好きなゴールを紹介。デルピエロの技術やイマジネーションの豊かさが存分に発揮されたこのゴール。当時思わず声が漏れたのをよく覚えている。


パベル・ネドベド
デルピエロが長くなってしまったのでここからは簡単に。
ネドベドは01-02シーズンからユヴェントスに加入してから文字通りピッチを駆け抜け03年にはバロンドールを獲得した。所属選手がバロンドールを受賞したのは彼が最後だ。当時ネドベドより華がある選手は他にも多数いたためこの受賞がちょっとした議論になったことをよく覚えている。今では技術とハードワークを兼備した選手の存在は当たり前だがその先駆けとなる選手だったように思う。左右両足から放たれるミドルシュートは彼の代名詞だ。


マウロ・カモラネージ

カモラネージも言わずと知れたB落ちの際にクラブに残留を決意した英雄の一人。僕が印象深いのはBに落ちて以降の彼のプレーだ。加入当初はいかにも南米出身のサイドアタッカーというプレーで高い技術と独特のリズムを武器にしてたが、ベテランに差し掛かってからは中盤で気の利いたプレーを連発してゲームメーカーとしても活躍。当時カモラネージがいないと試合にならないとまで言われていた。
ゴール後にコーナーフラッグをギターに見立ててロックバンドのギタリストさながらに長髪を振り乱すセレブレーションはとにかくかっこよかった。


クラウディオ・マルキージオ

ここからは馴染みのある方も多いクラウディオ・マルキージオ。
サッカー史に残る美形選手でプリマヴェーラ出身、プレーもエレガントさと泥臭さを兼ね備え人気が出ない方がおかしい。
近年どころかクラブ史においてほぼ唯一と言って差し支えない下部組織出身の中心選手のキャリアを追うことが出来た我々は幸せな時代に生まれたのではないだろうか。


ジャンルイジ・ブッフォン

唯一の現役選手であるブッフォン。ここではレジェンド枠で紹介したい
デルピエロはアイドル(象徴)でありエースだが、ブッフォンは真のリーダーだった。彼について改めて書くことはほとんどない。個人的にはパリから帰ってきてユヴェントスでキャリアを締めくくる決断をしてくれた事は何よりうれしい。


おわりに
以上がレジェンド編だ。
改めて見るとB降格のつらい時代を戦った選手達が印象に残っている。特に、イタリア代表の3選手は06のW杯優勝の直後にセリエBを戦ってくれたことは感謝しかない。ここにはあげていないが、キエッリーニやトレゼゲ、いや当時Bを戦った全ての選手に感謝している。
次回は9連覇を続けるこの10年間の中から5人を選出したい。お楽しみに。

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