晩夏の余韻

「先生、俺はどうしたらいいんですかね。」

そう言いながら、手元のグラスを見つめていた。空調のあまり効いていない空間で、グラスが汗をかいている。水滴が僕の手を伝ってコースターに着地していく。忙しい中時間を作ってくれた先生に対し、まっすぐ自分の悩みを打ち明けようとずっと思っていた。先生に会うことで、何かが腑に落ちたり、それこそ導きでもあるんじゃないか、そう思っていた。

藁をもすがる気持ちだったはずだ。

なのに、実際先生を目の前にして話をしようとすると、向き合って話すことができず、僕はグラスを見つめたままでいた。まるでグラスに話しかけているみたいだ。どう扱えばいいのかわからない、不透明な不安だけが体を駆け巡っている中、ふと我に帰ればそんな自分の姿に気づく。それでもどうしてか、目線はずっとグラスに向いたまま。

これは無意識に自分の不甲斐なさをアピールしているのだろうか。そういう姿を改めて晒すことで、僕は僕が弱いということを訴えて、そして救ってもらいたいとどこかで思っているのかもしれない。

先生に面と向かってしまうと、自分の晒したくない弱さや卑屈さを見られてしまう、そんな気もしていた。目を合わせないことで、自分の纏っている鎧に厚みをつけているようだ。それが自分を守るためでもあり、それが自分をより一層きつく苦しめるとどこかでわかっているのに。

先生は僕の言葉を聞いたあと、答えるわけでもなくただ無言で頷くだけだった。だからと言って、聞き流しているわけでもなく、僕が放った言葉以上に、僕から出ている何かを感じ取っているように思えた。

僕は次の言葉を口に出そうと思いつつも、ずっと喉に詰まらせたままでいる。

2ヶ月前僕は仕事をやめた。やめてよかったと思っている、精神的な患いから解放されたから。

うつ病の一歩手前だった。

仕事をしているといつも、自分にはもっと何か活かせるものがあるんじゃないかと思うたび苦しくなった。このままでいいんだろうか、やりたくないこと続けて本当にしあわせなのだろうか。

もちろん、何もかも嫌になったわけではない。少なからず仕事に対して、面白みを感じようと、向き合おうとしていた(僕なりにだけれど)。それでも思い返せば仕事の9割が辛かった、楽しかった1割は後輩とのおしゃべりくらい。

コンサルタントなんてやるもんじゃない、そう思った。予想していた以上に大変だ。何より、僕には向いていない。そう信じていた。そして苦しくなる。

先生に会った時は、自分とは異世界の住人だと思っていた。学校で先生の下で学べた機会は、奇跡とでも言っていいものだと思う。なぜなら、僕らが出会う現実は自分の価値観にフォーカスされるからだ。その僕の価値観を先生はぶち壊した。

先生は独立コンサルタントとして活躍している。代官山に億越えのマンションを持っており、年収は2億に達する勢いだ。セレブの代名詞とも言えるフェラーリも2台持っている。毎年何回もハワイやその他の国に旅行に行っている。先生のInstagramにはセレブにふさわしい車や海外、高級な食などの写真で溢れている。まぁそんな人はたくさんいるのかもしれない、僕が知らないだけで。テレビで見るような世界。

先生のセレブ感は素直にすごいと思った、あぁ世の中にはこんなすごい人がやっぱりいるんだな、知らない世界ってやっぱりあるんだ。そして自分とは関係ないと思っていた。

学校を卒業してから、先生と再会したのは1年近く経った時のことだ。先生の話をすればみんな興味津々で話を聞いてくる。先生の話をするたびに、相手の反応からも、やはり先生は世間一般とはまた違うレベルの人なんだといつも改めて思う。僕の後輩に先生の話をした時も「ぜひ会わせてください!」そう言っていた。先生にダメ元で、後輩と3人で食事をしたいと話したところ、先生は「もちろん。」と快諾してくれた。忙しい中、お金を生み出す時間でもないのに(むしろ奢ってもらう)、先生は「後輩の成長のためなら時間もお金も惜しまないよ。」と言ってくれる。どれだけできた人間なんだと、本当に思った。やっぱりレベルが違うのだと、そう思いながらも、「先生にだって不誠実なところもあるだろう(人間だもの)、次会う時は先生の何かちょっと汚い人間ぽさを見つけてやれ」とも思っていた。人間だもの。

人間じゃなかった。

そんなあらさがしは全く意味がなかった。

あらさがししてやろうと思った自分こそ醜いとどれだけ思ったことか。

後輩と先生が熱く話しているのを横目に、二人の話に耳だけ傾けながら酒を飲む。後輩の方が、独立成功者には向いているんだろう。僕は関係ない世界なんだろう。そうだろうよ。

二人ともすごいわ、、

どうせ俺は、、

心のつぶやきを続けようとした時、自分の中で何かが止まったのを覚えている。

「楽しいよ。毎日楽しくて仕方がない、毎日ワクワクして仕方がないし、本当に毎日が幸せで生きてて嬉しくて仕方がないんだ。今日も楽しいし明日も楽しみ。毎日楽しいね、楽しくて仕方がないよ。」

横から聞こえてきた先生の言葉が僕の何かを打った。

毎日楽しくて仕方がない。

毎日幸せで仕方がない。

そんなこと、今まで生きてきて思ったことが一度でもあっただろうか。

辛いことがあって当たり前、我慢して当たり前と思ってきた。

仕事では理不尽だと思うことばかりだし、上司からは「理不尽が当たり前だと思え」と言われ、自分の過去すら負債と思えと言われてきた。

仕事から帰ってはいつもやめたい、辛いと思い、妻の前でも余裕がなくなり、泣いてる自分、男らしさのかけらもなく、逃げたいと思っても逃げられない臆病な自分。

毎日辛いと思っている自分。

そんな僕の耳に入った

「毎日楽しくて仕方がない」

という言葉。

そんな生き方していいのかよ。

そんな生き方、あるのか。

俺も、そうなりたいな。


”そうなっていいんだよ”


自分の中の誰かがそう言った気がした。

じゃあどうしたらそうなるの?どうしたら毎日幸せになれるの?

そう聞き返して見た、けれど心の中の誰かは何も答えなかった。

自分の中の誰かはただただ、にこやかに微笑んでいるだけだった。






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