日記:墓地を散歩する

みなさま〜。どうも、輿水畏子(こしみず かしこ)です。

用事で地域最大級の霊園の近くに立ち寄ったため、ついでに霊園の中を散歩してみることにしました。

ところで墓地を散歩するって、世間一般的にはどう思われるんでしょうね。
私は墓地に対して、そこに親族が眠っている人たちからすればある意味聖的というか、特別な、静かにあってほしい場所なんじゃないかと思っていて、無関係の人間が物見遊山する場所ではない!と怒られてしまうような気もしていました。

一方で、「霊園で散策を楽しもう!」と謳ったサイトもいくつか見つかりましたし、変なYouTuberが墓場で企画を取っていたという話も聞きますし。
意外と墓地と人の日常の距離感は敏感になりすぎなくてもいい気もします。
ちなみに自分が今まで聞いた中で一番酷いと思った墓地での行動はぶっちぎりで「墓場で性行為」です。
すごいですよね、墓場で性行為。揺り籠から墓場までというか、揺り籠が墓場というか。生気と死の対極を融合させた様はもはや逆に陰陽魚みたいな感じで調和の象徴になりうる可能性すら感じさせますね。

閑話休題。

実際霊園に入ってみると、その規模感に圧倒されました。
霊園は地図で見ればちょっとしたテーマパークくらいの大きさの区画を占めています。その中に整然と並び立つ大小様々な墓石や卒塔婆や謎のオブジェたち。墓地といえば田んぼのど真ん中にポツンと一区画あるくらいの田舎から出てきた私にとって、この規模の「死が納められた場所」というのはそれだけで特別な雰囲気がありました。
そこで生きる人間の数が多いほど、そこで死ぬ人間の数も多い。
そんな当然の事実が改めて思い起こされます。

そんな気持ちで墓を見渡してるうちに、墓石の区画分けにもランクがあることに気がつきました。一畳くらいのスペースに墓石が並んでる区画もあれば、狭めのワンルームくらいの区画をとって大きな墓石が鎮座してる区画もある。この差がどこから来るのかといえば、当然墓所にかけた金の差によるのでしょう。
地獄の沙汰も金次第とは言いますが、やはり死後収まる場所すらも金次第で見栄えが決まってしまうし、同時に死後収まる場所の見栄えを金で買いたくなってしまうわけで。死してなおあまりに俗な世界から離れられないことを思うと、自分が死んだ後どうなるかを想像して暗い気分になってしまいますね。死んだ後くらい俗世のことから解放されたいもんです。

また、ワンルームくらいの区画の墓所について見て回っていると、場所によっては非常に綺麗に整備されており、そうと思えばその隣の区画は数年間誰も立ち入ってないことを感じさせるくらいには雑草が生い茂ったりしていて、部外者でありながらも報われなさのようなものを感じてしまいました。故郷にある親族の墓、せめて年1くらいは掃除してあげたいものですね。

霊園に入る前立ち寄った公園は人の活気と生気で溢れていましたが、対照的に霊園の中を回っている間はすれ違う人はほぼおらず、静謐で生気のない空気をより重く感じられました。やはり霊園に相応しいのはそういった空気であって、軽々しく立ち入るのもなんか違うな〜というのが感想でした。今後積極的に訪れることはないでしょうね。
朽ちた後の世界の寂しい空気感を全身に浴び、静かで少し肌寒い空間を歩いて通り過ぎた経験は、総じて夏が終わり秋に移ろっていく今の季節に相応しい経験だったと思います。

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