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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

彼女たちに私が出来ることは何か。『Sugar,sugar,sugarcoat』感想

お久しぶりです。輿水かしこです。

 皆様は最近いかがお過ごしでしょうか。私はあいも変わらずガールズラブのオタクをし続けており、あそこにGLがある、と聞けば飛びつくようなフラフラとした日々を送っております。今期はガルクラが激アツ。
 さて、そんな日々の中で、このような記事を見つけました。

 本記事のタイトルにもなっている『Sugar,sugar,sugarcoat』(以下では公式の略称・3sugarcoatを使います)の紹介記事でした。

 可愛らしいイラスト、どうやら恋愛シミュレーションみたい?そう思って覗いてみれば

主人公はヘレナという女の子。
主人公が恋してしまうのはマリーという悪魔の女の子。
主人公が愛を深めていくのは友人の女の子たち。

……ガールズラブじゃん!!

そう思ったが早いか、早速Steamで購入し、通しでトゥルーエンドを見るまで駆け抜けました。(ちなみに、公式サイトによると本作の要素はロマンシスに近いと想定されているそうです。)今回は本作をプレイした感想記事になります。ネタバレもガッツリ含まれますが、それでも問題ない方は最後までお付き合いください。

救われない友人たちの想い

 まず最初に3sugarcoatについて思ったことは、「友人の愛を悪魔に捧げちゃう構図ってエグくね??」という気持ちでした。主人公のヘレナが愛を育むのは、級友のクラリス、先輩的立ち位置のサラ、みんなの後輩のミシェルの3人。ヘレナはこの3人のうち一人を選び、彼女たちと日々を過ごし、言葉を選んで心に近づき、愛を育みます。そうやって生まれた二人の間の愛情は……全て、悪魔であり、人の愛情を食べるマリーの餌となります。
 つまり、彼女たちが心に灯した愛情が行き着く先はない。彼女たちの恋心が報われることはありません。クラリスもサラもミシェルも、ヘレナはマリーのことが好きであると気づいており、「私の気持ちが届かなくても良い」と笑いながら愛の告白と、側にいたいと直向きな気持ちを捧げてくれます。その健気さ、虚しさに、ルートをプレイするごとに心が削られる気持ちがしました。
 そしてこの感覚は何もプレイヤーだけのものではありません。主人公のヘレナだって同じ虚しさに心をすり減らしていくのです。そこで効いてくるのがこのゲームの世界観設定でした。
 3sugarcoatの世界は、実は閉じた世界です。彼女たちが暮らしている世界は昔から続いているように見えて、実はヘレナとマリーが出会う日頃から、その数日後までの短い時間を何度も何度も何度もループし続けています。そのループを外れて記憶を保持できるのは、人間ではない存在、つまり悪魔のマリーと、マリーに魅入られて天使に変えられたヘレナだけです。この世界の中で、ヘレナは誰と友情を育み、想いを告げられるまでたどり着いたとして、その先に待つのは皆が全てを忘れた次のループだけでした。
 

繰り返す世界とゲームシステムのメタフィクション

 一通りプレイされた方は感じたことかと思いますが、上述の3sugarcoatの世界設定は、「この世界がゲームの世界である」ということにメタ的に言及するかのようになっています。繰り返し世界を巻き戻してキャラクターを攻略していく恋愛シミュレーションのシステムが、そのまま「世界の仕組み」となっている。作中でたびたび言及される3sugarcoatの世界を作り、ヘレナに「選択肢」を与える「神」の存在は、このゲームをプレイしている私たちプレイヤーと重なるように見えてきます。
 演出的にも、世界にバグを起こすとセリフが文字化けしたり、メタフィクション的な演出は多用されます。ここは結構意外なポイントというか、最初にゲームを見た時からは予想もできない展開に進んでびっくりさせられました。その中でも特に良かった演出が、「選択肢を無視する」ことでヘレナが「自分の言葉で語る」ようになるという演出ですね。ゲーム中に登場する選択肢は神(プレイヤー)が用意した言葉であって、貴方の言葉じゃない。一番最初のチュートリアルでマリーがヘレナに「彼女自身の言葉で語る」ことを要求しますが、それがTrueエンドへの伏線となっているシステムは、ゲーム世界の制約を抜けてヘレナが一人で歩いているのを見守るような気持ちになりました。

一番救われなかった女の子

 さて、3sugarcoatの世界のカタチが明らかになった時、救われない想いを一番抱え続けていたのは誰だったでしょうか。それはプレイヤーでも主人公のヘレナでもなく、悪魔であるマリーでした。
 ノーマルエンドで語られるように、マリーはヘレナを天使にする前からヘレナに恋をし、ヘレナのことを見続けていました。悪魔として肉体を持たない頃から、マリーという少女の形を得た後も、ずっとずっとずっとヘレナを愛し、ヘレナの側にいて、ヘレナのことを記憶し続けていたのです。でももちろんヘレナは悪魔でも天使でもないのだから、マリーのことは全て忘れてしまいます。そんなループを何度も何度も何度も繰り返していたことが、マリーの記憶を覗く中で明らかになります。日付カウントが文字化けするほどに繰り返された世界の中で、ヘレナを想い続けたマリーの感情は、いつしか「ヘレナに忘れてほしくない、ヘレナの全ての感情を自分のものにしたい」という欲望へと変わっていきました。
 この構図、前述したように「ループして友人と紡いだ想いが消えちゃうなんて救われない、切ないよ〜」なんて思っていたプレイヤーほど刺さる形になってるんですよね。プレイヤーが思っていた救われて欲しい、という気持ちに、一番当てはまるのはマリーだったんです。だからマリーがヘレナを誘惑して天使にするのも、最初は恐ろしいと感じていたのに、プレイを進めるごとにマリーへ感情移入し、マリーの行動を肯定したくなっていく。最終的にはマリーとヘレナの恋を応援している自分がいて、上手い構造だな〜と想いました。

見守ることの無力感

 私はEDを全部開けるためにわざと悪い選択肢を選ぶ、という行為が苦手なのですが、一方で見れる情報は全て見ておきたいため、全キャラクターのBADエンドを最初に見ることにしました。そのとき思ったのが「このゲーム、思ったよりBADエンドがBADしてるぞ……」という畏怖でした。ともすれば消えてしまいそうだったクラリスは本当に何も残さず消えてしまい、兄への秘めた恋心を抱え続けたサラはその想いに溺れ外へ出ることができなくなり、大切な人を亡くしたミシェルは後を追うように命を断ちます。ゲームの絵柄からもっとふわふわな恋愛模様を予想していた私にとっては結構予想外のパンチを喰らった部分です。
 そしてTrueエンドに至り、ああ、この作品は「生きていく上で誰もが他の人とは馴染めない『歪み』を持ちうるし、皆その歪みを人に見せないように生きてるんだ」ということを正面から描いているのだなと認識を改めました。
 個人的に面白いなと思ったのは、こういうゲームのTrueエンドって、Trueって名前の割に実態は「めっちゃハッピーエンド!」になってることが多いのに対して、3sugarcoatにおけるTrueエンドは「ヒロインたちの真実を暴くエンド」になっていることです。それはつまり、HappyエンドよりTrueエンドがいいということを意味しない。Happyエンドのまま、傷を暴いたりせず皆が幸せな終わりを選んでも良かったはずなんです。それでも私たちがヘレナに「自身の言葉で触れ合う」ことを託すとき、物語は真実へと向かっていく。クラリスが暴力を通じてしか愛を確認できなくなったことも、サラが愛する対象が自分に依存して生きることを望む支配欲を持っていることも、ミシェルが笑顔の仮面の裏に誰とも共感できないという生きづらさを抱えていたことも、ヘレナの手によって暴かれていく。ゲームシステム上、Trueエンドに向かう時、ヘレナは私たちプレイヤーの手を完全に離れてしまいます。私たちにできるのは、ゲームを通じて彼女らの時を進めることだけです。彼女らの真実を見た時、私が感じたのは「無力感」でした。彼女らの真実を、本当の想いを暴いて、知って、良かったのだろうか。彼女たちがヘレナによって救済されても、ゲームを進めてしまえば時間はまた巻き戻り、彼女たちの想いもなかったことになっていく。
 普通のゲームだったら、周回でいろんな要素が始めからになることはそういうものとして受け入れられます。ですが、3sugarcoatの世界はメタフィクションとして、ゲームの周回がそのまま世界の繰り返しに繋がっている。そんな世界を前に、ヒロインたちの「歪み」を知った私に一体何が出来るだろう。知ってしまった故に、彼女たちをどうにかしてあげられないか、ある意味傲慢な視点ですが、そんなもどかしさを感じました。
 そして、私たちが見守ることになるのはクラリス、サラ、ミシェルの3人だけではありません。繰り返す時間の中で、ヘレナを愛し続けたマリーと、マリーの気持ちに応え、同じ時間を生きることを決意したヘレナ。この二人の行く末もまた、プレイヤーではなく彼女たちが選び取るものであり、私にはその選択を見守ることしかできません。
 このゲームをプレイしたことで、私はクラリス、サラ、ミシェルの傷を暴き、ヘレナの日常を一変させました。果たしてそれが本当に良かったのか、ゲームをプレイし終わった後もしばらく考え続けていました。ぶっちゃけて言えば彼女らを暴いたことに罪悪感を感じたくらいです。
 ですが、記事を書いているうち、少しでも救われた部分はあったな、と思うようになっていきました。それはもちろんマリーのことです。少なくとも、Trueエンドの先、マリーは永遠の孤独と歪んだ愛憎からは解放されることになりました。勿論繰り返す世界の中で、何もかもがうまくいくとは思いません。それでも、少しでもマリーが幸せになったことを祝福したいし、その点だけでもこのゲームをやってよかった、と思えるようになりました。

ゲームをプレイすることの意味

 3sugarcoatは、私にゲームをプレイすること、登場人物たちの世界に私の選択が介在し、その行末を目撃することの意味と重さを改めて考えさせてくれるきっかけとなりました。攻略対象を選び、選択肢を選び、時を進めることを選び、最後には主人公に全てを任せる事を選んで、それでも目撃者になることだけは避けられない。それなら、私が世界を動かしたことは良いことだったのか、悪いことだったのか?世界を変えてしまったことはもう取り返しがつきません。それならば、私は出来る限り自分が見たもの、感じた事を記憶しておこう。そう思いこの記事を書きました。
 こんなプレイ後の感覚は初めてのもので、3sugarcoatでしか味わえないものだったと思います。そんな新しい視点をくれたこのゲームに感謝を。そして、ヘレナとマリーと友人たちが紡ぐこの先の世界が安らかであるように祈りを捧げます。


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