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「耳マークの歌」問題について2

 前回からかなり間が空きましたが、「耳マークの歌」問題は依然として進展がありません。むしろ暗澹たるものがあります。

 5月31日付の全難聴便りには、その月に開催された理事会のまとめが載りました。それによると耳マーク部からの報告として、反対意見などが多数あったことをきっかけに活発な意見交換があり、その結果全難聴の運動・活動につながるメリットがあったとなどとしています。
 しかし、その活発な意見交換がどのような中身だったのかは公にされませんでした。私を含む反対意見が全難聴の機関誌に載ることがなかったのは、前回の記事に書いた通りです。また耳マーク部が評価した、活動につながる「メリット」とは具体的に何だったのでしょうか。音楽が聞こえない人にエールを送るのに歌を選択したことに、一体どんなメリットがあったのでしょうか。分断を広げた今回の企画が全難聴の活動のメリットになったとは到底思えません。

 「耳マークの歌」の歌詞募集締め切りが今月末に迫ってきました。ここへ来て新聞に歌詞募集のお知らせが掲載されたり、業界関連のSNSに「おもしろい」などと好意的な反応とともに宣伝がアップされたりしています。まるで全難聴はこの企画を見直す気はない、という意思表示にも思えます。

 しかし「歌」は、聞こえない、聞こえにくい人へのエールにはなりません。歌が聞こえない苦しみを押しつけるつもりなのでしょうか。この企画を「理解する」「理解できない」といったレベルの話ではありません。聞こえない、聞こえにくい人の人権の問題なのです。
 改めて「耳マークの歌」に反対するとともに、「音楽が聞こえない苦しみを持つ人の声」にこそ耳を傾けてほしいと思います。

 

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