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ずっとこれまで「選挙」について語ることは避けていた。

もちろん自身が立候補をしたことが有るわけでもない(高校の頃、文化祭実行委員長選挙でダダ滑りして負けたのがトラウマだ。)し、そもそも「選挙」に関わってるって何か胡散臭い(「元々お前は胡散臭いだろう!」と言う指摘は真摯に受け止めます)し、変に考えやノウハウのようなものをだしてしまったら「手の内」を明かす事にも繋がりかねないし。

またこの手の話しで「アレオレ(あの案件、俺がやりました)」的に伝わたり、うっかり機密漏洩して誰かから怒られたりするのも怖いのもある。(考えすぎだろうか)

ただ、極力、そういう側面は控えて、冷静に自身の「選挙」との関わりや、制度そのものについてどう考えているのか整理したい衝動にかられてしまった。

自身と選挙の関わり

DNA的に言うと、母方の祖父の兄が山口県選出の非自民系の県議・衆議院議員だったらしく、母の実家は選挙時は戦場だったようだ。また父方の祖父は、細川政権誕生時、日本新党を応援しており、家に政党ポスターが貼っていたのを覚えている。父も「選挙は人が死なない戦争だ」と常々言っていた。詳しくは聞いたことはないが父は一度真剣に何かの選挙に取り組んだことがあるらしい。こんなにも身近に政治や選挙がウロチョロしていたが、僕個人としては「政治家=ダサい人。」と言うごく普通の感性を持ちながら、政治とは一切無縁の幸せな青春を送った。

当時の「日本新党」の政党ポスター。のっぺらぼうが印象的。
「もし、うかばなかったら、 日本新党に期待してください。」というコピーも面白い

そんな私が、大学時代のゼミの先生が2001年の参議院選挙(東京選挙区)に出る事になった関係で少し関わる羽目になり(新宿アルタや渋谷スクランブル交差点で場所取りのため徹夜でバンの中で寝ていた。)、そのご縁でその先生の2013年の3選目の挑戦に関わった後、いろんなご縁がいろいろと重なり、ほぼ1年に1回は何かしらの選挙に事務局長として関わっている。まったく選挙・政治とは無縁な20代を送っていたのに、全く不思議な人生だ。

ただ、関わったことが有るのは実質、参議院選挙の「東京都選挙区」(日本で一番大きな選挙区だ)と「自身が住んでいる自治体の選挙区」のみ。また、立場としても不思議な事に自民党系、民主党系、地域政党系、政党無所属などに関わらせていただいた事がある。

戦績で言うと、関わった9戦の内7勝2敗。(自身が事務局長を務めた6戦内で言うと5勝1敗。尚、「未遂」が1-2回ある。これのことはいつか書きたいなぁ)

「絶対に勝てない」と言われた状況で勝った経験もさせていただいた。これは、本当に自分の人生にとってかけがえない出来事である。

選挙では人生を変えるような出会いもあるし、学びも深い。ただ、一回の選挙でエネルギーは半端なく使う。LINEも電話も鳴り止まない。飯を食う時間もない。怒らせてはいけない人が無限にいる。そして、選挙後、勝っても負けてもその心身の復活には相当な時間を要する。故に選挙が「好きか嫌いか」で問われると「大嫌い」である。(好きな人っているのだろうか)できればやらないでノホホンと生きていたい。

選挙は権力闘争

少し話題は逸れるが、春先に読んだ「安倍晋三回顧録」の中でこの一文にある「権力闘争」という言葉が印象に残っている。

古い人間の発想かもしれないけど、自民党総裁選は権力闘争ですから、みんな相当の覚悟で誰かを応援しているわけです。クラスの学級委員長を決める選挙とは違うのです。

"安倍晋三回顧録" P307 第九章 揺れる外交 より

確かに、昨今「キングダム」を読み始めて(遅い!)改めて思うのは、「選挙」というのは良い意味で、近代社会が創造した人が殺し合わなくて済む権力闘争の仕組みなんだなぁと言うことだ。(調べると、1792年にフランス革命期の立法議会が解散するときの法令により、新しい国民公会を召集するための選挙で世界初の男子普通選挙が実施されたという。)

やりたいことをやれる権利闘争

たまに僕の事を「選挙プランナー」「選挙参謀」のように認識してくださる方もいらしゃり、地方の選挙プランニングや事務局の打診を受ける事もある。ワンポイントなアドバイス程度ならさせていただく事もあるが、多くのコミットを求められれる場合はお断りしたり、上手くお話が進まないケースが多い。

それは、やはり僕の中では(国政はまた性格が異なるのでまた捉え方が異なるが)単なる「お仕事」ではなく、あくまでも「選挙」と「まちづくり」が一体となっているからなのだろう。もちろん、自身に「にわかセミプロ」な腕や経験しかない、とうのもある。基本的には日本一の選挙プランナー、松田馨くんに頼んでください。(笑)あるいはこの本買ってください!

うまく言語化できないけど、やはり現実として「選挙に勝つこと」=「その街でやりたいことを進める環境を整える」事につながる、のだ。それは自身が勝ってきた中で感じる実感である。選挙にもし負けていれば僕はここまで自分のやりたいことをやれていなかったと思う。

そもそも「まちづくり」を仕事の領域にする以上、「選挙」関係の話は切っても切れず(選挙無縁でまちづくりに関わってる方が正直、羨ましい。一方、法的に関わりたくても関われない公務員の方々もジレンマは少なからずあるだろう。)、そういう意味ではあくまでも通過儀礼を経ているだけに過ぎないのかもしれない。

思いを馳せるに、選挙とは「権力闘争」とまではいかないまでも、「やりたいことをやれる権利闘争」なのだろう。だから所謂、団体組織は血眼になって贔屓の政党や候補者を応援する。

ただ、こう書くと「口利き」「利益誘導」「癒着」みたいな話しとしてネガティブに見えるだろうからもう少し丁寧に補足すると、「選挙とは、自分(たち)がやりたいことをやれそうな環境を作ってくれそうなリーダーを選ぶこと」でもあるのだ。

普通の感覚だと「消去法で、なんとなくマシな人に投票」で良いのだけど、このような「支持政党なし」が大半の世の中だからこそ、「なんか選挙いかなきゃいけないみたいよ…ダルいわぁ」という消極的な理由よりも、「自分」が主体となった積極的な理由で「投票」が増えるのも良いなぁとも思う。

マクロな問題意識

さて、自身の中での「選挙」に対する関わりと考えについて整理が少しだけ進んだ。ゆくゆくはこれまで実践してきたノウハウやガーシーばりの暴露話も(おい!)整理してみたい気持ちもある(有料記事などで?)が、役に立つかもわからないので、それはまたいつかの機会に譲りたい。

ここでは常々自身が感じているややマクロな視点の問題意識で締めくくってみたい。

  1. 【人類と選挙】いつまでこの選挙制度は続くのか。(提灯や木材による選挙ポスター掲示板の事を言っているのではない。上述のフランス革命の時のように、「次、人類に社会的コンセンサスを取るための手段にイノベーションが起きるのはいつなのだろうか。そしてそのあるとしたらそのキッカケは何なのだろうか。」みたいな話だ。)

  2. 【政党政治の未来】我々アラフォー世代やZ世代(死語でしょうか…?)が国や地方の中枢の大半を担うのは順調に行って20−30年後(2040年〜2050年)だとして、その時も政党政治がベースになっているのか。

  3. 【ワクワクする議会】議会は、このまま「お遊戯会(台本棒読み)」状態なのだろうか。(これが必要悪だということも理解している。)いつになったら、揚げ足取りが無くなり、批判のための批判をせず、対話によって相互理解を深めながら建設的な企画や政策を立案できるようになるのか。(あるいはこれが人類の限界なのか)

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