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自身が「企業・行政・NPOの連携促進」を生業にする関係で、これまで、官民共創、官民連携、公民連携、市民協働、コレクティブインパクトなど様々な連携スキームの言葉に触れてきた。

とにもかくにも「セクターが連携し、社会課題に対応していくこと」が社会的に非常に重要であると認識されてはいるものの、事例こそ増えてきつつあるが、再現性のある方法論や、推進していく人材の育成方法の体系化についてはまだ発展途上と言えるだろう。

今回は、「セクターが連携し、社会課題に対応していくこと」の重要性・必要性が平成以降の日本において、どのように推移してきたのかその背景について私なりに整理し、その現在地や課題、今後の可能性について検討していくシリーズものとしたい。まずは黎明期を書いてみます。

ボランティア元年とNPO法の成立

セクター連携の歴史を語る上で、もっとも大きな出来事は1995年に発生した阪神淡路大震災であると言えよう。この年は「ボランティア元年」と呼ばれ、ボランティア活動が全国的に活性化し、その後1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が国会で可決した。この法律をもってして、特定非営利活動を行う団体に法人格を付与することが可能になった。

尚、世界に少し目を向けると、ドラッカーが80歳の時に1991年に出した「非営利組織の経営」は、NPO経営について、世界で最初の本格的な著作であり、古典とされている。

話をもとに戻そう。上記のようにNPOが法人格を持つことで、信頼性を増し、「お金の流れ」にも大きなよって変化が起こった。行政からの助成金が交付されたり、企業・個人からの寄付金も集まり、また控除の仕組みも整備されていった。NPO側もより透明性の高い運営が出来るようになり、本来の社会課題解決事業を推進する原動力としていた。

一方、そのような助成金・寄付金頼みの運営体質には限界もあり、下記のような本が1999年に出版されたりもした。

企業の脱皮。迎えたCSR元年

一方、企業もCSR(企業の社会的責任)の必要性が求められる大きな変化を迎えていた。

もともと日本では、経済同友会が 1956 年にCSR決議を行った後、様々な変遷を経て、1990 年代後半から「環境経営」が定着するなか、2000 年以降に頻発する企業不祥事を契機に、再びCSRへの関心が高まり、2003 年を 「CSR経営元年」と位置付けているようである。

詳しくはコチラの「日本におけるCSRの系譜と現状」を参照されたい。https://www.nli-research.co.jp/files/topics/38077_ext_18_0.pdf

当時、日本でも続々とCSRに関連する部署が出来て、(今のSDGs的なものの走りだ)、いかに企業が社会に貢献をしているか、をアピールすることが企業戦略上、必要があった。

しかし、流行りに乗って初めてみたもの、実際には「儲からない慈善事業」的な位置付けで設置し、いつまで、何をすることが正解なのか誰も分からなかったのも事実だろう。一方、NPOはわかりやすい「寄付先」「連携先」として重宝されており、双方の思惑は一致しているかのように見えた。

しかし、一方でお金を出す「企業」、助成をする「行政」と、支援を受けながら社会課題解決を行うNPOとの間には上下関係とまでは言わないが、フラットではない関係性は長続きせず、2008年のリーマンショック等を契機に企業の中でもCSRの優先順位は下がっていった

【参照記事】

このようにセクター連携が停滞していた時期に、2009年に民主党への政権交代、そして2011年の東日本大震災等を踏まえによって「セクター連携」は次の過渡期へと移行していく。

【続く】



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